危機感薄い憲法の番人。

<最高裁の寺田逸郎長官は、3日の憲法記念日を前に記者会見し、憲法改正について「国民的議論に委ねられるべきで、裁判所から申し上げることではない」と述べ、国会や国民が主体的に判断すべき問題との認識を示した。

 寺田氏は、憲法が施行されて68年がたち、基本理念「法の支配」が日本社会に定着していると指摘。「大事なのは一般の人の理解だ。法の支配を社会で実現するには不断の努力を続けていかなければならず、裁判所も十分配慮していく」と述べた>(以上「北海道新聞」引用)

 最高裁の寺田逸郎長官は「憲法改正は国民的議論に委ねられるべきだ」と当たり前のことを述べたに過ぎない。このブログで常々問題だと指摘しているのは安倍自公政権による解釈改憲という実質上現憲法無視が平然と行われていることだ。
 最高裁の寺田逸郎長官は憲法の規定する「戦争放棄」を、政権が主張する「自衛権行使」としてどの範囲までなら許されると考えているのかが問われている。ただ「自衛権」論争に関しても、憲法には「自衛のための武力行使は許される」とは一切何も書かれていない。しかし自然人でも暴力を振るわれれば防御するのは生存権の「正当防衛」として認められているから、国家としても憲法に規定がなくても当然備わる権利だ、という「解釈」により自衛隊は成立している。

 その「正当防衛」論の延長線上に集団的自衛権があり、さらには周辺事態法を超えて世界の何処へでも「国際平和活動」という議論で許されると安倍自公政権は「拡大解釈」している。それをも最高裁判所は「違憲立法」ではないと見なすのか、その判断が問われている、ということが寺田氏は解っているのだろうか。
 元防衛大臣の森本敏氏は<首相は、集団的自衛権を行使できるようになっても湾岸戦争やイラク戦争のような戦争に参加することはないと言っている。今回の恒久法整備でやろうとするのは後方支援で、戦闘行為に巻き込まれる恐れはない。法律に規定されていないことを言うのは空論だ>(以上<>内「jijidot.com」引用)と、能天気な解説をしている。安倍首相が「戦争に参加することはない」と言っているから戦闘行為に巻き込まれることはないとは、元防衛大臣の認識として余りにいい加減ではないだろうか。

 現代の戦闘は前線だけで展開されているのではない、ということは世界人類が周知の事実だ。テロ行為は世界の何処ででも起こり得る。自衛隊が集団的自衛権に基づいて世界へ出掛けて行って活動すれば、戦争相手から集団を組んだ国々の一員と日本が見なされるのは当然のことだろう。集団的自衛権行使に対して日本が国家として責任を負うべきも至極当たり前のことだろう。
 それが弱腰だとか、双務的な「同盟関係」ではないだとか批判するのは勝手だが、そもそも日米安保条約は日本近海や領空などの周辺事態に対処するためのものではなかっただろうか。それを世界規模の「同盟関係」に拡大する、という日米の二国間条約をいつ変える決議を国会で経たのだろうか。それならそれなりに、日本国内の米軍基地の有り方も議論し直さなければならないのではないだろうか。

 そうした安倍政権の普通に戦争できる国家へ日本を仕向けようとする企みに、最高裁判所が無反応なのはなぜだろうか。かつて自衛権のための自衛隊という軍隊の保持を容認して沈黙を続けた当時の『憲法の番人』は現在においても、ただただ政府を容認し続けるためだけの「三権分立」のお飾りに過ぎないのだろうか。
 法を支える「常識」、あるいは「良識」も時代とともに変化する。アフリカ系黒人を「奴隷」として売買していた当時の米国社会は現代からは想像もできない常識が支配していた。インカ文明を破壊した当時のスペインも、現代とはかけ離れた常識がスペイン社会を支配していた。だから歴史を現代の常識で論じ、現代の基準で裁こうとするのは「愚行」だというのだ。それは先の大戦に対する謝罪を執拗に日本に求める国々(といっても世界に二ヶ国しかないが)にも同様のことが言えるだろう。

 だが、現代の日本は戦争の軛から人類を解放しようとする憲法を戴いている。それが非現実的であろうとなかろうと、それに従うのは立憲主義国家の国民として当たり前のことだ。そして政府もまたそれに従わなければならない。
 いかに多数の議席を国会で占める政権党の総裁であろうと、憲法改正なくして憲法に反することは許されない。それが閣議決定による「解釈」であろうと、憲法規定に触れることは出来ない仕組みとして「違憲立法審査権」が最高裁判所に与えられている。ただ最高裁判所が政権と対立してでもその権能を振るうよりも、安穏として最高裁判所判事という椅子に座り続けたいという誘惑の方が強いようだ。それが証拠に一票の格差に対して「違憲だが有効」という摩訶不思議な国語として成立しない判決が陸続として出されている。
 それもまた最高裁判所の憲法解釈なのだろうが、あまり融通無碍なことをしていると気が付けば戦前に回帰していたということになりかねない。今日は憲法記念日だ。憲法とはいかにあるべきかを勝手な解釈を政府や最高裁判所任せにしないで、国民が考えてみる必要があるのではないだろうか。


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