戦前と何が異なるというのか。

<集団的自衛権の行使などを可能にする安全保障関連法案が26日、衆院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、審議入りした。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使について「外国領域でも(武力行使の)新3要件を満たすことはありうる」と述べ、他国領域でも条件を満たせば行使できると明言した>(以上「毎日新聞」引用)

 確かに自衛のための戦争という概念は存在する。日本国の独立自尊が脅かされる事態に陥ったなら、万難を排して軍事行動に活路を見出すという正当性だ。
 しかし先の大戦後に日本は紛争解決にそうした方途を取らないと日本国憲法に明記した。ただ自国領海・領空への侵攻を受けて、国民の生命・財産が危険にさらされた時に限り、自然人が正当防衛を認められるように、憲法には書かれていないが自衛のための戦争は日本国憲法にも認められるものと「解釈」している。

 その「解釈」が安倍自公政権では限りなく拡大されて、もはや戦前の大日本帝国と何ら変わらなくなっている。外国の領域でも武力行使できるというのなら、中共政府が日本にとって危機的存在だ、と時の政権が見なせばいつでも軍事侵攻できることになる。
 政権に「裁量」を与えるのは危険だ。安倍首相はこう考えるが、菅官房長官はああ考える、と内閣不一致のような印象だが、それは取りも直さず政権に裁量権を与えていることになる。いわば「解釈」の幅を持たせることに繋がるからだ。

 安保法制の議論すべての根源は日本国憲法に「自衛権」が明記されていないことにある。書かれてもいないことを自然人にも正当防衛が認められているように、殴り掛かってきた相手に対して腕を顔の前に上げて防御の姿勢を取るのは何ら違法性はない、という理屈だ。
 しかし「解釈」を憲法に持ち込むのは危険だ。キチンと明記して、個々人により「解釈」の幅が異なる、ということはあり得ないようにしておくことが必要だ。野党は安倍自公政権内閣不一致を取り上げて論争を挑むのではなく、国語学者を国会に招聘して、国語として日本国憲法を解釈してもらうことから始めてはどうだろうか。その上で、憲法学者や法学者が安倍自公政権の「解釈改憲」が日本国憲法に規定する概念内の合法行為であるのかを審議すべきだろう。

 内閣は憲法の規定に従うべきと明快に明記されている。憲法が内閣に従うのではない。解釈により憲法の理念が捻じ曲げられるのは明らかな憲法違反だ。そのことをまずは問題にすべきではないだろうか。


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