自民党教育再生実行本部の議論で「教育予算増を消費税で」というのは誤りだ。

 教育予算は少なくとも国家が守るべき範囲では減少しているといわざるを得ない。なぜなら国立大学の授業料を現行の年間53万円から86万円に上げようというからだ。
 指摘するまでもなく、教育予算の増減は国家の未来に大きくかかわる。子ども手当と同じく、未来への投資というべき性質のものだ。それを「財源が、」といいながら、公務員報酬予算は「財源が、」とは少しも騒がずに今年もチャッカリとアップしているではないか。

 私たちが大学生活を送った当時、国立大学の授業料は年間1万2千円だった。大学のある地方都市の六畳一間のアパート代が月額4千円だったから、大学の授業料は六畳一間のアパート代の1/4だったことになる。
 当時でも私立大学の授業料は文科系で年間数十万円だったと記憶しているから、当時と比較して国公立大学の授業料がいかに高騰しているかお解りだろうか。それでも自公政権は国公立大学の授業料を現行の53万円から引き下げようとしないのだろうか。

 貧乏な家庭は最初から私立大学への進学は諦めざるを得ないのは今も昔と同じだろう。奨学金があるではないか、と指摘する人がいるが、現行の日本の奨学金は「貸付金」でしかない。学生の将来に大きな負担となって帰って来るものだ。
 なぜ給付型の奨学金を日本ほどの経済大国の先進国で充実できないのだろうか。私学は企業経営だから高額な授業料を徴収しても構わないが、国公立は原則として無料か極めて低廉にすべきだ。それがすべての国民に対する教育の機会均等を保障することになる。

 国家の百年の計を考えるなら、公務員報酬を上げるよりも、まず教育予算増を図るべきだろう。その財源として「消費増税」分を回すと自民党では考えているようだが、それはいかなる根拠ある財源論だろうか。
 それなら国会議員の報酬等々の財源は何だというのだろうか。消費増税で国民からの反感をなるべく逸らそうと小細工を弄すバカバカして議論にうつつを抜かす暇があったら、なぜ根本的な国家全体に関わりのある経済成長策を議論しないのだろうか。

 増税すれば税収は増える、という考えは財務官僚に毒された政治家たちの非常識な常識だ。むしろ消費減税をして元の5%に戻し、派遣業への規制を強くして製造業などでも正社員以外の雇用は困難だった昔に戻す方がいかに個人消費を増大させて景気回復に資すだろうか。
 消費増税部分を教育予算に、とか、社会福祉予算にとかいった議論は沢山だ。そうした財源論はすべて単式簿記に端緒を発している。大福帳会計で硬直した財務官僚の発想がそのまま自民党国会議員の常識と化しているのは歴然としている。そうした議論をする前に、税とは税収に税目別にお金に色がついているモノではない。税収で国家がなすべき優先順位に従って使途を決めるのが国会ではないだろうか。消費増税がなされなければ教育予算増を自民党国会議員は諮らないとでもいうつもりだろうか。こんなバカな連中が国会で何を議論するというのだろうか。まずは自らの身を律して、予算と向き合うべきだろう。自分たちは一人当たり1億円もの税を使いながら、ロクな議論をしていない現実に少しは恥じてはどうだろうか。


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