安保法制改革は日本の自衛隊が米軍の一翼を担うことだ。

 いよいよこの週明けから安保法制改革が国会で審議される。既に安倍首相が米国議会で「この夏までに成立させる」と約束した「公約」の実現に向かって日本の国会が動き出す。そうした実態から見れば既に日本の首相は米国のパシリで、日本の国会は米国政府の下請け機関に過ぎないのが事実だ。
 相対的に軍事的な地位低下を続けている米軍にとって、自衛隊がいつでも何処へでも出掛けて、実際に敵に砲弾を浴びせること以外は何でもできる、ということになれば、これほど有難いことはないだろう。いや敵に砲弾を撃ち込むことも「事態」次第では安保法の解釈で可能になるのは次の段階に用意されているのだろう。

<政府が今国会に提出する安全保障関連法案の全条文案が8日、判明した。自衛隊の他国軍への後方支援を随時可能にする新法「国際平和支援法案」では、国際社会が国連憲章の目的に従って共同対処する活動を対象とすることを明記。焦点だった自衛隊派遣をめぐる国会承認については、首相が承認を求めてから7日以内に議決する努力義務規定を盛り込んだ。集団的自衛権の行使を可能にする武力攻撃事態法改正など10法案を一括し「平和安全法制整備法案」とした>(<>内「産経新聞」引用)

 たとえば高村副総裁は「日本国民が凍死してバタバタ死ぬ事態にならないようにすることだ」とホルムズ海峡の掃海という例を引いて自衛隊派遣を「周辺事態」に限定していては国民を守れないと強弁する。しかしそうなってはならないために巨費を投じて石油備蓄半年分を実施している事実は説明なしで「凍死する」という恐怖感だけを理由説明にしているのは政治家としての資質を疑わせる。
 そうした危機的な事態に陥らないために、日本は外交戦略を立てて実施すべきだ。なにも米軍のポチに自衛隊を差し出すことが日本の安全に資するとは思えない。米国は周知のように戦後70年間絶え間なく世界の何処かで戦闘の当事国だった。ちょっとしたことでも針小棒大に騒ぎ立てて他国の主権を侵害して軍事侵攻して憚らない国だ。フセインのイラク進攻がまさしくそうだったし、現行のイスラム国の勢力拠点への空爆も国連承認の手続きを経ているだろうか。

 日本が世界平和に貢献すべきは自衛隊の派遣ではなく、米国の過剰な軍事介入を諌めることではないだろうか。高村氏の「凍死で国民がバタバタ死ぬ事態になっては、」という説明はまさしく太平洋戦争へ舵を切った当時の軍部の「大東亜共栄圏」思想そのものではないだろうか。
 時代は変わり東南アジアに欧米の植民地は一つもない。日本だけが突出して自国の安全保障を梃に自衛隊を派遣することなく、共通の相手によって迷惑を蒙る国々が共同して対処する手法を用いる方がどんなに良いだろうか。先の大戦を反省したのなら「自衛隊を切れ間なく派遣できるようにする」のが良くないことは明白だと判断するのではないだろうか。

 米国には米国の正義があるが、米国に攻撃される相手にも相手なりの正義があることを忘れてはならない。米国と価値観を共有する、と日本の首相は軽軽に発言するが、米国の価値観が何かお解りなのだろうか。
 1%の支配により強欲なハゲ鷹が支配する米国の実態を日本の官僚たちは知っているのだろうか。その1%の支配に日本を差し出そうとする企みがTPPだということは自明の理ではないだろうか。そして安保法制改正はTPPとセットで日本が完全に米国に隷属する罠だということを日本国民は看破すべきだ。

 日本が歩むべき道は欧米追従の力による支配ではない。世界平和を希求する人々と協力して、国連安保理常任理事国として大きな顔をしている世界支配気取りの国々に軛を嵌めるのが日本の役回りでなければならない。
 そのために、日本は一刻も早く米国の隷属から離れて、独立国家として支配されている国々の真の独立を促して「戦闘なき」世界の実現へ向けて常任理事国の利害調整機関に過ぎない国連とは別の国際機関の創設に立ち上がるべきだ。それが日本の進むへべき途であって、米国の三下に成り下がることではない。


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