憲法に定める「報道の自由」は誰のための自由だろうか。

<テレビ朝日の吉田慎一社長が28日、都内の同局で定例会見を行い、「報道ステーション」に出演した元経済産業省官僚の古賀茂明氏が、自身の降板をめぐり「官邸からバッシングを受けた」などと番組で発言した問題を受け、再発防止策と社内処分を発表した>(以上「デイリースポーツ」引用)

 処分の内容は以下の通りだが、コメンテータが独自の考えを表明したことがそれほど大事なのだろうか。処分内容は以下の通り引用したが、その内容たるや酷いものだ。これでは日本のマスメディアは戦前の大本営発表を一言一句変わりなく国民に伝える「報道機関」に成り下がったも同然だ。
 もちろん偏った報道はよくないが、それなら原発問題を論じる場合には推進派と即時廃炉派の両方の論客を登場させることだ。そして丁々発止と議論させる方が「自由な報道」のあり方ではないだろうか。

<社長は「混乱を防げなかったのは当社の責任。名前が出てしまった方におわび申し上げます」と謝罪。原因については、「コメンテーターとの意思疎通の不足。信頼関係構築の不足」と分析し、以下の3点を再発防止策として掲げた。

 (1)コメンテーター室の新設。コメンテーターと番組スタッフとの意思疎通の強化を狙い、幅広い分野の有識者とネットワークを構築。各番組に対し、ネットワークを生かしながら必要に応じて人選や出演の助言を行う。

 (2)番組へのフィードバック徹底と助言。コメンテーターの発言などについて、視聴者から電話やメールで意見をもらうシステム「おぴれこ」や、報道情報番組OBが論評を記す「生番組モニター」を従来以上に活用する。

 (3)ゲストコメンテーターとの信頼関係の構築。ゲストコメンテーターに出演を依頼する際は、番組内容を丁寧に説明して趣旨を理解してもらう。番組プロデューサーや担当者は日常的に接触して信頼関係強化に努め、編成やコメント項目について丁寧に説明する。

 社内処分も発表。戒告は報道局ニュースセンター「報道ステーション」担当部長、報道局ニュースセンターエグゼクティブプロデューサー、報道局ニュースセンター「報道ステーション」プロデューサー(当時)の3人。取締役報道局長、社長、会長は役員報酬1カ月10%返上とした>(<>内「デイリースポーツ」引用)

 コメンテータの発言内容を事前に検閲するというのはいかがなものだろうか。まさしくマスメディアは官僚と政府の報道機関に成り下がったというしかない。それは国民の知る権利を担保する「憲法」に定めた「報道の自由」とはかけ離れたものだ。
 そうした危機的な状況に対して、日本の言論界はなぜ沈黙しているのだろうか。そういえば、関西の日曜日午後から放送される報道番組は極端なほど安倍自公政権に偏った論客を集めて、テレビ画面の中で現政権ヨイショ合戦を繰り広げている。見ていて「お前は恥ずかしくないか」と思わず問いかけたくなるほどだ。

 なぜ対立する立場の論客を同数登場させて、異なる立場の考えで議論させないのだろうか。同じような意見を繰り返し聞かされている内に視聴者がそれが正しいかのような錯覚に陥ってしまうのが何よりも怖い。
 これも一種の思考停止だ。自分は考えないで、コメンテータの考えを自分の考えとして取り込んでしまう。それが正しければ問題ないが、報道機関による世論誘導番組だった場合には鳥肌が立つような結果になりかねない。それはつまり戦前への回帰に他ならない。


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