常に歴史への「反省」を求められる国は世界でも日本だけだ。

<東西冷戦下に新興独立国の指導者が集まり、第三世界の連帯をアピールしたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の60周年記念首脳会議が22日午前、インドネシアの首都ジャカルタで始まった。

 安倍首相は同日昼に行った演説で、第2次世界大戦への「深い反省」を表明した。1955年のバンドン会議で採択された「平和10原則」を引用する形で「侵略」という言葉も盛り込んだ。そのうえで、「共に、平和と繁栄を築き上げよう」と訴えた。
 同会議での首相演説をめぐっては、夏に出される予定の戦後70年談話との関連で、歴史認識についてどのような言葉を用いるかが注目されていた。

 首相は演説の中で、「侵略または侵略の脅威、武力行使によって他国の領土保全や政治的独立を侵さない」という60年前の「平和10原則」の文言に触れたうえで、「バンドンで確認された原則を、日本は先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と強調した。
 2005年に開かれた50周年を記念する首脳会議では、当時の小泉純一郎首相が演説で、「植民地支配と侵略」がアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたとして、「痛切なる反省と心からのおわび」を表明した。安倍首相は今回の演説で、「おわび」には触れなかった>(以上「読売新聞」引用)

 日本に先の大戦で「お詫び」を事ある毎に求めるのは如何なものだろうか。世界史で知っているが、侵略をしたのは日本が唯一無二の国ではないし、世界に植民地を拡大して現地人の人権を著しく侵害し、搾取した欧米諸国は事ある毎にそれらの国々に詫びているのだろうか。
 日本の「侵略」を厳しく断罪する中共の中国は近隣諸国や地域を侵略していないし、現地人の人権を著しく侵害していないと断言できるだろうか。現在も強大な軍事力を背景にして、南シナ海沿岸諸国の主権を侵害していないといえるだろうか。

 70年以前に終了した戦争に関して、未だに『反省』だの『謝罪』だのと求められ続けるのにはウンザリだ。それなら言わせてもらうが、韓国は日本から何一つとして「謝罪」も「援助」も受けていないとでもいうつもりだろうか。
 もういい加減、日本に「謝罪」や「反省」を求める「歴史認識ごっこ」はやめようではないか。中共政府も先の大戦以後の中共政権の短い歴史の中ですら自国民を数千万人も虐殺した歴史を持つ国だ。今もウィグル人やチベット人を抑圧し、簡単に虐殺している。日本の非をあげつらう倫理観があるなら、自国の歴史を日本に対する批判眼で見詰めることだ。

 東南アジア諸国に対しては、日本がやった戦争は『植民地からの解放戦争』だった。日本が戦ったのは現地住民ではなく、東南アジアに侵略していた欧米列強の軍隊と戦った。
 日本の果敢な戦争がなければ、アジアやアフリカが植民地から独立を果たす時期はもっと遅くなっていたと思われる。それゆえ、植民地を手放すことになった欧州諸国は戦後に日本を批判し続けた。自分たちの権益を排除させられた恨みは当分の間、反日感情として残っていた。

 中国との戦争は欧米列強の帝国主義に遅れてやって来た日本帝国主義がもたらしたものだ。しかし直接的な引き金となったのは国民党軍による上海事変で、それは日本に対する挑発だった。
 朝鮮半島の住民と戦争をした史実はない。単発的なテロはあったが、組織だった「独立戦線」との戦争もなかった。歴史認識を誤っているのは日本ではなく、韓国の方だ。清国やロシアの侵略から守ったとして感謝されこそすれ、韓国民に「侵略された」と批判される謂れはない。

 謝り倒すことが真の友好関係に繋がる道ではない。歴史を史実に基づいてお互いに認識し合うことが最善の方法で、現在の問題もお互いに史料を持ち寄って検証することが必要だ。軍事力を背景にモノを言う姿勢はガキ大将の恫喝でしかなく、一人前の国家がやることではない。
 日本の首相が「謝罪」を口にする都度、日本国民は反感を覚える。欧米列強がやったことと日本がやったことは基本的に異なるし、日本は白人に抑圧されたアジア人に自らの力で国家を建設する処方箋を示した。日本の先人を日本国民は誇りに思うべきであって、決して蔑まされたり卑屈になってはならない。日本の首相も「共に独立国家として栄光の歴史を刻もうではないか」くらいの格調高い演説をすべきだし、その資格は日本だけにある。


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