日立の「世界戦略」にシフトした経営に杞憂を覚える。

<イタリアで150年余りの歴史を持つフィンメカニカの鉄道関連事業買収には日立のほか中国企業も名乗りを上げ、激しい買収合戦となった。2014年4月に国内外の鉄道事業の本社機能をロンドンに移管した日立は、交渉の全権をドーマーに委ねた。日本の日立本社が指揮を執る従来の態勢では、意思決定のスピード感や物理的な距離の溝は埋められない。日立は本社が全ての意思決定を行う手法を転換し、地域や事業分野に応じて本社機能を“移管”しつつある。
. 09年3月期決算では、国内製造業では過去最悪の7873億円という巨額最終赤字を計上した日立は、いまや電機大手で初の売上高10兆円を視野にいれる。その実現の鍵となったのが、社長の東原敏昭が掲げる「自律分散型グローバル経営」だ。
. 2月24日、買収合意後の会見を終えたドーマーは、伊経済開発相のフェデリカ・グイディを中央に、フィンメカニカCEOのマウロ・モレッティと笑顔で握手を交わした。週を空けずにフィンメカニカ幹部との交渉を重ね、密接な関係を作り上げた成果だ。日立会長兼CEOの中西宏明は「世界市場で受注をとれるようになった」と高く評価する。
 自律分散型グローバル経営は、海外事業を今後の成長の源とする日立の経営戦略の柱の一つだ。プラント事業では昨年、シンガポールに東南アジア事業を統括する「日立インフラシステムアジア」を新設した。産業プラントやエネルギー、水処理などアジアのインフラ関連事業は、同社が取り仕切る形だ>(以上『産経新聞』引用)

 世界戦略を立てて経営していくのは経営者として当然のことだろう。ことに世界各国が受注に凌ぎを削っているインフラなどの巨大プロジェクト関係に関してはそうだろう。
 しかしそれでも「日本企業」としての立場を捨てでも、というのはやり過ぎだ。日本企業として日立は今日まで営々と歴史を刻んできた。あくまでも拠点は日本国内にあるべきだ。そして日本国民を雇用し日本の地域社会に貢献してこその起業精神ではないだろうか。

 確かに現地法人を買収した方が現地での入札に有利に働くかもしれない。現地の製品に対する要望や機能に関してリサーチも行き届くかもしれない。しかしそれでも日本に拠点を置かなくなった企業が「最大利益」を上げたとして、日本国民にとってどれほどの利益があるということなのだろうか。
 経営本体までも現地へ移しても構わない、という姿勢は多国籍企業しては正しいのだろう。しかし日立は多国籍企業化するつもりなのだろうか。受注を世界各国から得るだけでなく、工場や経営までも各国へ分散して世界へ飛躍することが企業として発展なのだろうか。いや、連結決算書や連結総資産などの面から見れば恐らくそうなのだろう。しかし、そうした巨大化が日本国民にとってどれほど意味があるというのだろうか。

 例えば自動車産業が世界各国に工場を造って現地生産に乗り出している。それは世界各国へ日本で生産した自動車を集中豪雨のように輸出することが世界各国で顰蹙を買ったからに他ならない。だがその反面、生産管理や製品の品質維持に関して日本国内での生産以上に気を配らなければならなくなっている。
 トヨタなどの海外でのリコールは現地生産自動車に対して多く起こっていることに勘案すれば解ることだ。日立は巨大システム込めの高速鉄道を世界各国に売り込む戦略なのだろうが、高速車両の品質の維持・管理に関してどのように現地で行うつもりなのだろうか。そして日本国内で可能だった「カイゼン」や「技術の継承」を今後はどうするつもりなのだろうか。

 企業利益を最大化するだけが経営者の務めではない。日本企業であるならば日本国民を雇用し日本の地域社会に貢献することも日本の企業として果たすべき大きな役割だ。
 そうした当たり前のことを日本の言論界が一切言わなくなり、経済界は「企業の最大利益」を上げることこそが経営者の勲章だと囃し立てるようになった。その結果が国内産業の空洞化であり、工業技術の後継者不足になっている。モノ造りを忘れた経営者たちに明るい未来はない。ただ目先の『短期利益の最大化』があるだけだ。それがゴーイング・コンサーンたるべき企業家のありかただろうか。日立の経営陣に猛省を促したい。


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