なぜ伊藤俊輔は軽く描かれるのか。

 視たことはない。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」をだ。なぜなら吉田松陰の「松下村塾」を妹の「文」目線で描くとしているが、なんだか幕末のホームドラマ騒動記のようだ。
 その中に出てくる配役を見る限り、決して見ようという気になれない。特に酷いのが伊藤俊輔(後の「伊藤博文」)役の「劇団ひとり」だ。彼の俳優としての力量が劣るとかいう話ではない。ただ、伊藤俊輔の何が演出家に解っているのか、という怒りからだ。

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 伊藤俊輔が「林利助」と称していたころから、明治四年、伊藤博文27才に到るまでが描かれている。彼がいかなる人と邂逅していかなる影響を受けて成長したかが如実に解るはずだ。

 決して伊藤俊輔は要領の良い人タラシではなかった。彼は長州藩中間の一人として、藩士たちの風下に置かれながらも、ひたすら自分の人生を実直に生きた。
 たまたま来原良蔵や桂小五郎や高杉晋作や井上聞太たちとの出会いから世間が開けた。だが、実際に彼も命を賭して英国留学から帰国し、功山寺に駆け付けた。そうした決断すべき時に命をも顧みず決断した彼の力量を知るべきだ。

 なぜ現代日本で伊藤俊輔が軽く描かれるのか。それは殆どの人たちが伊藤俊輔の「物語」を知らないからだ。ただ印象だけで彼を語っているからだ。
 そして現代日本の世相も大きく関係しているだろう。歴史を自分勝手に謝罪した愚かな宰相の「談話」が公式に政府談話として踏襲されているようでは、伊藤博文が全権大使として李鴻章と交渉して日清戦争講和として締結した「下関条約」の第一条で半島の独立を掲げた真意は何も理解されていないといわざるを得ない。それは日本国民もだが、半島の人たちも自分たちの歴史に対して余りにも無知といわざるを得ない。

 まずは歴史を正しく知ることだ。事実をマトモに事実として受け止めることから始めなければならない。伊藤俊輔の配役が「劇団ひとり」だったことに腹を立てて、一切そのドラマを視聴しない私は偏屈かもしれないが、見て落胆するより遙かにマシだと思っている。


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