安倍氏の「テロを許さない」とは自衛隊が「イスラム国」と戦火を交えることなのか。

 何とも勇ましい発言が安倍氏の口から語られている。国会も「イスラム国非難決議」を行った。
 もちろんテロは許されないが、それなら「イスラム国」と日本は戦火を交えるつもりなのだろうか。いや日本は後方支援を行うにとどめ、前線で「イスラム国」と戦火を交えることはない、と安倍氏は国会で答弁している。それならテロに責任を取らせる、などと勇ましい発言は慎むべきだ。

 邦人二人が殺害されたが、むしろ「イスラム国」の落としどころを日本は探る立場にあるのではないだろうか。「イスラム国」を殲滅せよ、と叫ぶのは容易だが、実際に殲滅できるだろうか。
 そもそも中東の紛争は米国を主体とする「多国籍軍」によるイラク進攻と、フセイン排除によるイラクの混乱が始まりだ。確かにフセインが突如としてクウェートに侵攻したのが「多国籍軍」結成のきっかけとなったが、フセインの軍隊をクウェートからイラクへ押し戻した段階で終わりだったはずだ。

 しかし米国はフセインが大量破壊兵器を開発して所有している、というCIA情報に従ってイラクを侵攻した。だが結果として大量破壊兵器はなかった。
 米国はそのことに関して何一つとして責任を取っていないばかりか、「イスラム国」の要人殺害空爆を実施している「有志連合」も正義だと称している。「イスラム国」のテロと「有志連合」の空爆とどこが異なるというのだろうか。断っておくが、有志連合の空爆は兵士たちだけを殺害しているのではない。多くの市民も巻き込んでいることを忘れてはならない。

 日本国民はテロを憎むが、その憎悪だけで中東と関わってはならない。同じアジア人として、中東の平和のために「イスラム国」の落としどころを考えるべきだ。
 彼らがスンニ派のイスラム教を信奉するのなら、スンニ派の宗教指導者たちと連携を取って「イスラム国」のイスラム教徒たちと冷静な話し合いの場を設けるように努力すべきだ。

 当然「イスラム国」の指導者たちにはこの度の虐殺や他国への侵略と略奪などに対して責任を問わなければならない。しかし「イスラム国」の兵士たちを殲滅しなければならないとは思わない。
 米国が始めた中東の戦争を、石油利権や宗主国たちの利権を巡る駆け引きではなく、戦火のない中東を実現するために終わらせるべきだ。その役割を担えるの国の一つが日本ではないだろうか。そうした立ち位置を決定的に米国の金魚の糞にしようとする安倍氏の「戦争屋」体質に日本国民は引きずられてはならない。

 日本のマスメディアは何を恐れているのか、すっかり鳴りを潜めて安倍批判を封印している。そして国会でもテロを憎むあまり戦争大好きな米国に追従しようとする安倍氏を諌める議論が噴出しないのに危機感を覚える。
 集団的自衛権は世界の何処でも発揮できるものだという解釈は飛んでもないことだ。周辺事態に限定すべきは当たり前ではないだろうか。それとも自衛隊は米軍の三下になって、世界の何処でも「正義の戦い」に参加できるようにすることが日本と世界の平和に資することだろうか。

 邦人二人が「イスラム国」に囚われ、法外な身代金を要求された折に安倍氏が小躍りして喜んだ、という小話がまことしやかに流れている。「これで集団的自衛権議論が容易になった」との目論見かららしい。それが単なるタチの悪い捏造だとしても、マスメディアの「テロを許さない」大合唱には戦前の危険な臭いを嗅ぎ取るのは私だけだろうか


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