対前年増の国家予算を一体いつまで組み続けるつもりなのか。

 政府は2015年度予算を今日、閣議決定するという。それによると96兆円台となっており、今年も対前年増予算となったようだ。その主な理由として社会保障費の増加を上げているが、それ以外にも防衛費の伸びと海の守りの海上保安庁の定員増と先発建造費なども盛り込まれている。
 必要な予算を削れとはいわない。しかし歳出削減努力は絶えず行うべきだ。官僚・公務員給与を民間勤労者並にすればそれだけで数兆円は浮くはずだが、そうした「努力」は皆無で、むしろ引き上げに走っている。政治家の報酬もそれに引きずられて増加しているというから驚きだ。国民には痛みを我慢しろ、と言っておきながら、官庁の不磨殿に巣食っている連中は「自分たちは別だ」と特別枠として恥じない。

 国民生活は困窮を強めている。実質所得は減少しているのに、消費増税などが国民の生活を直撃している。それも低所得者ほど厳しくなっているが、政府は所得の改装を問わず一様の率による年金の削減や負担増を実施している。富裕層にとってはそれほどの痛みではないかも知れないが、ギリギリの暮らしをしている者にとってはまさしく命を削ることになっている。
 なぜ社会保障費が増大しているのなら根本原因たる組織や仕組みを改めようとしないで国民給付を低減させる最終手段へ移行するのだろうか。官僚や政治家たちの頭の中には「カイゼン」という言葉が存在しないのだろうか。

 医療費に関しても個人負担を増加させるのではなく、カルテの電子化と国家による一元管理を実施すれば、相当の二重診療や検査漬が解消される。薬の複合汚染も防げるし、老人が馬に食わせるほどの薬をレジ袋に入れている姿を見かけることはなくなるだろう。適正診療と適正薬剤処方が徹底することは電子カルテの一元管理プログラムにそうしたチェックを組み込めば簡単に出来ることだ。
 しかも人力によらないためコストが経常的に削減できる。人的錯誤も存在しない。カルテを医師が作成する段階で医療過誤も自動的に排除できるチェックを組み込んでいれば、そうしたミスや誤りも防げる。他の先進国で出来ていることが日本で出来ない理由を厚労省は国民に説明すべきだ。

 年金に関しても高額部分に関して平成25年から削減する方向だが、しかしそれはいかにも少なさ過ぎる。25,26年度に1%、27年度に0.5%と3年で2.5%削減とは余りに少なさ過ぎる。しかも年間230万円以下に関しては適用しないとは何事だろうか。
 国民年金受給者は満額ですら年間で100万円にも達していない。それにも拘らず230万円以下はわずかな削減対象にもなっていないというのはなぜだろうか。なぜ年間240万円を超える年金はすべてカットする、といった抜本改革が出来ないのだろうか。社会保障とは優雅な暮らしをするための「保証」ではない。文化的にして最低限の暮らしを営む憲法に定めた国民の権利を保障するものだ。そうした発想に立てば、バカな消費増税も呑んだ国民は納得するはずだ。

 しかし対前年増の予算を一体いつまで組み続けるつもりだろうか。既に生産労働人口は毎年100万人ほども減少している。生産しない高齢者が増加している中で、税金を負担する人たちは一人当たり負担する限界に達しているのではないだろうか。
 総額を抑制しない限り、この国の未来は国債ばら撒き財政でついには「円」の国際信認が暴落する事態をいつかは迎えることになる。その時になってアタフタとしても遅いのだが、政府や日銀にそうした認識はないようだ。


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