あの1月17日午前5時46分から20年経って。

 阪神淡路大震災から20年経ったという。あの朝の記憶は今も鮮明に残っている。
 まだ夜も明けやらぬ時刻、ベッドで眠っていた私は異様な地震に目ざめた。周期の長い、それでいて家全体を揺さぶる荒ぶる大地の異変にすぐテレビにスイッチを入れた。

 しかし地震直後のテレビは何が起こったか、全体を把握するには情報の乏しいものだった。ただ神戸を大地震が襲ったことだけは判った。高速道路が横倒しに倒壊している映像に「ただ事ではない」と心配したものだ。
 当初、犠牲者は14人とテレビは伝えていた。間もなく上空からの映像が届くと、街のあちこちから幾筋かの煙が立ち上っていた。それは神戸の街が火の手に包まれる前兆だった。

 6600余人もの犠牲者を出し、幾つもの商店街や街が焼失するという甚大な被害を受けた災害から20年経って、大地震の傷跡は癒えたかのように街は新しく生まれ変わったが、そこに住む人たちに地震の傷跡は深く残ったままのようだ。
 昭和の面影を強く残していた商店街を地下一階と地上二階の巨大なショッピングモールに建て替えた商店街は、しかし建物の復興とは裏腹に、住民たちは新たな「災害」に直面している。

 立て替えた巨大なショッピングモールに空き家が目立つ。震災前にその商店街にいた人口5000余人に対して、震災後20年の現在は4000余人と2割も人口が減少した。
 震災を商機とみたゼネコンなどが他所でやったショッピングモールの事業計画をそのまま持ち込んだようなプレゼンに行政が飛びついて地域住民の震災後の動向や、街の復興とは関係なく立て替えたことが震災後の地域住民の「災害」だ。
 すべての計画の基になるのは人口だ。街造りなら居住者予定人口だし、ショッピングモールなら予測利用者数だ。利用予測に見合わない巨大なショッピングモールを造っても、出来た後は廃墟になるだけだ。

 そこが東京・首都圏のゼネコンやコンサルにはなかなか理解できないようだ。なぜなら東京・首都圏なら少々立地が悪くても、それなりの規模のモノを造れば人は集まってくるからだ。
 そうした発想に馴れたゼネコンやコンサルなどの提案する「街造り案」は危険だ。そこに「補助金」などの責任の伴わないカネが絡めば、計画はアッという間に膨らまし粉を入れたように膨らんで、都市規模に見合わない巨大なモールが出来上がる。出店がスカスカのモールの魅力は半減以下となり、客の足は半年と経たずして離れて行く。

 政府は「地方創生」事業と称して、昔の「中心市街地活性化事業」を焼き直して、失敗した街づくりに再び責任のない補助金を注ぎ込み、ドブに捨てようとしている。街造りの主役はそこに暮らす人々でなければ必ず失敗する。そうした教訓は神戸の震災地にも生きていた。被災住民は行政の無能による復興事業という二次災害の「被害」にあっている。
 どこの街でも良い。歴史を振り返れば解ることだ。街が形成されたのは、街があったから人々がそこに集まって来たのではない。それは逆で、そこに生きて行くに十分な仕事があって人々が集まってきたから街が形成されたのだ。まず「雇用」ありきなのだ。

 神戸などの被災地のみならず、被災者が暮らしていくに必要な「雇用の場」を行政はまず確保しなければ被災者は元の街に帰って来られない。地方創生も全く同じだ。
 バカなマスメディアや経済評論家や経産官僚などが「企業の海外移転」熱を煽りに煽って、全国から数万社が生産拠点を国内から海外へ移した。それが地方の地盤沈下を決定的にした。雇用の場の海外移転という災害が全国の地方襲い、雇用喪失した地方からまず若者がいなくなり、地方から活力が失われてしまったのだ。津々浦々に雇用の場を復活させなければ地方は創生されない。そして人口や利用者予測を無視した街造りは住民を復興「被災者」に陥れるだけだ。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。