歳入歳出を複式簿記にして、すべての公的会計を連結決算書に表現すれば、

 しばしば政府広報で「国債残」を国民の借金だと表現する。しかし、それは誤りだ。借金したのは政府であって、貸し付けたのは国民だ。そして国債残は財務省が発表しているほど多くない。
 そのことは歳入歳出を複式簿記に改編してB/S,P/Lに表現すれば一目瞭然だ。そして社会インフラは国民の資産だと主張した人に対して、処分できない社会インフラは資産ではない、と国民資産論を退けたのも誤りだと判る。なぜなら社会インフラはすべて「償却資産の部」に記載されるべきものだからだ。

 さらに公的簿記をすべて連結決算すれば、地方に対する交付金は地方の補助金の部で相殺されて消え、消費税も地方分と分けられている部分も一体のものとして認識されるだろう。そうすれば消費税が一般財源として、いかに社会保障以外に冗費されているかが明白になる。
 そして日銀の株の過半数を政府が所有していることから、日銀は連結決算されるべき「企業」となり、日銀が大量に「異次元金融緩和」で買い入れた国債は財務省が管理する国債発行残と相殺される。つまり日銀が国債を買い入れるということは、紙幣価値の減額を通して相対的に国民の資産価値を減額して償還・償却していることと何ら変わらない。

 そうした複式簿記なら当然の「操作」を歳入歳出という前近代的な会計方式を存続させることで国民の目先を誤魔化し、国債残高は「国民の借金だ」と言葉で誤魔化す、という手法を財務省は取り続け、それをマスメディアは一切批判してこなかったし、この国の会計学者たちや公認会計士たちも一切疑義を呈してこなかった。
 政府や公を批判すべき立場にある人たちの沈黙は学問に対する冒涜だ。彼らは何のために学問を積み重ねて日々研鑽しているのだろうか。ただただ「飯のタネ」として学者であったり会計評論家であったりするのなら、漫才を演じない漫才師や寄席の高座に上がらない落語家と同じだ。

 世界基準で物事を処理しなければ世界各国と比較はできない、というのは当たり前のことだ。しかし日本の官僚たちは世界基準に従わないで、国際比較を平気でやってのける。
 その最たるものがカロリーベースで算出した「食料自給率」を用いていることだ。世界基準では「消費金額ベースでの食料自給率」を用いている。カロリーベースで計算している限り、日本の「食料自給率」は決して50%を超えることはないだろう。なぜなら小麦を大量に消費する日本国民の食糧実態を見れば明らかだからだ。一日の食事を振り返ってみて頂きたい、パンやバスタ、うどん、ラーメンなどの麺類を米飯以上に摂取しているはずだ。それならカロリーベースで計算すれば最大のカロリーを支えているのが炭水化物だという事実から、小麦を国内生産しない限り「カロリーベース」で自給率が過半数を上回ることはあり得ない。しかし、それが農水省にとって国民に危機感を与えて予算獲得に有利だから、決して「消費金額ベース」で算出した67%になる日本の自給率に切り替えることはない。

 すべての官僚たちの小手先の数字の誤魔化しを批判し、国際基準に改編すべきだ。複式簿記にすれば官僚たちの別荘たる特会や基金も「総額主義」に基づき国家の決算書に書き込まれることになる。ブラックボックスに放り込んで官僚たちが寄生することは出来なくなるだろう。
 財務省管轄の為替管理会計の「闇」も決算書に表現されることになる。すべてを一枚の決算書に表現し、勘定明細表も提出すべきことになるから、会計学の素養があれば瞬時にして国家の公的会計の全体像が把握できることになる。
 しかし国税庁は企業に対しては中小・零細の例外なく「複式簿記」を実施すべきと指導し、全国の税務署では厳しく督励している。なぜ一般企業を指導する前に、国家や地方自治体や特別法人を監視し、連結決算すべきと提起しないのだろうか。そして会計学者たちは歳入歳出会計を複式簿記に改めるべきと主張しないで、学究の一隅で沈黙しているのだろうか。


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