野党が統一して提出した法案「同一労働同一賃金法」は当たり前のことだが。

 今国会で自公政権が目論む派遣業法規制撤廃に対抗して、野党は統一して同一労働「同一賃金法」案を提出したのは当たり前の議論をやっと国会でやろうとしているとして歓迎する。
 そもそも同じ職場で同じ労働に従事して、正社員と派遣社員が混在しているのが間違いの元だ。賃金の格差が正社員と派遣社員との間にあり、しかも労働者の身分保障にも大きな格差が存在すること自体が労働法の精神に反する。同一労働同一賃金は疑う余地のない当たり前のことだ。

 しかし当たり前のことが当たり前でなくなっているのが現在の日本の労働環境だ。それを強行したのは小泉政権下で竹中平蔵氏が推し進めた新自由主義的な諸改革だった。
「自己責任」という言葉が、政治の貧困によって生じた社会格差の拡大を個人の責任に帰すというマジックに過ぎないことをマスメディアは疑うこともせず、単細胞的な拡声器機能を存分に発揮して「自己責任」という言葉を国民に刷り込んできた。

 しかし誰も「自己責任」で自ら望んで派遣の道を選んだわけではない。正社員になり損ねて、新卒至上主義の経営・労働業界の悪しき慣習によって新卒-正社員のラインから外れた人たちを生涯派遣労働者として使い捨てる格差社会を、自公政権は構築して来たに過ぎない。
 その延長線上に今回の派遣業法規制撤廃の3年の壁撤廃改正法案だ。そんなものは労働者の側は決して認めるべきではないが、連合などの労働組合は一切の抗議デモなどを予定していない。彼らは僥倖にも正社員になった人たちだから、派遣労働者のことなど知ったことではないというのだろうか。

 野党が統一法案「同一労働同一賃金」法案は極めて当たり前のことだ。労働基準監督署がこれまで一切派遣労働者の賃金問題を取り上げて勧告していないというのが不思議なほどだ。
 長年かけて獲得してきたこの国の格差是正装置がここ数十年の間に次々と自公政権によって破壊されている。彼らが目指している社会は新自由主義の「自己責任」という名に隠れた「弱肉強食」社会だ。いわば19世紀英国社会的な、マルクスが資本論を着想せざるを得なかった悲惨な格差社会だ。

 その格差は日本では社会保障の年金にも厳然として温存されている。官僚や公務員の加入する共済年金と派遣労働者たちが加入する国民年金との格差は六倍以上にも達する。年金という生涯続く格差は耐え難い。現役時代の職種と賃金が年金に反映するなどという馬鹿げた社会保障を改革しないで、社会保障費の増大を賄うために貧困層に重い消費増税を繰り返すとは何ということだろうか。それでも国民のための政治を行う政治家たちなのだろうか。年内にも総選挙があると評論家たちが囁いている。今度こそ1%の人たちに奉仕する政治家ではなく、99%の国民の生活を第一にする政治家を選ばなくてはならない。


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