地方創生は企業のUターン促進策から。

 地方の活力が失われた大部分はここ二十年間に地方から企業が相次いでなくなったからだ。大企業の自動車工場などが閉鎖になるとマスメディアを賑わすが、中小企業が撤退した場合などは地方紙の記事にもならない。
 しかし三十人四十人と雇用していた縫製工場などが相次いで操業を停止して、地域から撤退して行った。下請けとして生地の有償支給されたものを指定通りに縫製するだけの仕事が大部分であったが、中には独自にデザインや生地にこだわって地場企業として存続しているものもある。しかしそれらは極めて少数だ。

 同時に地方自治体が平成の大合併という政府の掛け声で後先の考えもなく3200近くあった自治体が合併して1000程になってしまった。それにより何が起こっているか、地方の山間部集落の切り捨て行政が着々と進行しているのが現在の問題だ。それを政府はコンパクトシティーと称している。
 町村役場は地域にとって最大の雇用の場であり、地域を支える支援センターだった。しかし合併により役場は支所や出張所となり、人員も十分の一以下に削減された。歳入・歳出予算と執行権を持つ役場がなくなれば公共事業で細々と存続していた土木事業者も消え去り、災害発生時に復旧すべき重機やオペレーターすら地域からなくなった。

 平成の大合併によりどれほどの交付税が削減されただろうか。公共事業の削減と合わせれば、毎年2兆円以上の交付税が削減され、地方は公的支出面からみても痩せ細ってきたといえる。
 地方自治体の合併以後、公的施設の閉鎖や統合も相次ぎ、地域社会は根底から存在の基盤を覆されている。小学校の統合や閉鎖は村落の存続に関わる大問題だということがお解りだろうか。小学校は地域にとって単なる小学生の義務教育期間だけの存在ではない。地域にとって小学校は文化風俗の伝承拠点であり、災害時の避難場所でもあった。

 合理化・効率化を求めるなら遠隔地をすべて切り捨てて行政機関を中心地に集約して、老人世帯を強引に中心地に集約する方が理に適うだろう。しかし、それが本来の行政の在り方だろうか。
 政府や地方自治体が担うのは合理化できない、効率化できない文化や地域社会の存続ではないだろうか。地域から住人が失われれば地域の伝承文化も同時に失われる。いやそうした民族的な文化・伝承は価値がないというのなら、何をか況やだ。しかし神代の御世から語り継がれた伝承や、舞続けられてきた御神楽の喪失は日本国民の魂の故郷を失うことではないだろうか。

 人が地域ら暮らし今後とも代々地域を守るためには安定的な所得を得る雇用の場が必要だ。箍が外れたように海外へ移転した数万社もの企業の十分の一でもUターンさせることが出来るなら地域にとってどれほど大きな活力になるか知れない。
 起業促進策を金融面からも行うようだが、起業するには地域にそれなりの情報の蓄積と人材が必要だ。しかし地域社会から人材が失われて久しい。ロシアでは一流の演奏者も年を経て一線から退けば故郷に帰って幼稚園や小学校で教えるのが普通のようだ。しかし日本にそうした文化の還流は殆どない。都会へ出て行った人材はそのまま地方へ還流することはまずない。

 あるのはスーパーや道路沿い商売展開の都会資本が地域の購買力目当てに進出するだけだ。それにより地域の個人商店は止めを刺され、村のうどん屋も暖簾を下ろした。地域は根こそぎ奪い取られてきた。今更安倍政権が何をやろうというのだろうか。
 原発再稼働や立地に莫大なカネをかけるくらいなら、地域の小電力発電事業に補助率の高い金を出す方がどれほど理に適っているか、考えてみてはどうだろうか。小川を利用した水力発電事業などを推進するだけで集落全体の電力が賄える。小川の整備や管理も併せて行えるだろう。
 企業は合理化・効率化を求めるものだが、行政は合理化・効率化だけを求めてはならない。それこそ俯瞰的な大局的な観点を持つべきだ。安倍政権にそうした文化をも含めた地域の創生が出来るだろうか。


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