武力行使を前提とする集団の存在を許さない。

 武力・暴力を前提とした集団の存在は全人類への挑戦だ。中世的な暗黒社会の時代でもあるまいに、人々が自らの意思を表明するのに誰彼に憚らなくてはならないとは何だろうか。
 史上最年少でノーベル賞を受賞したマララ女史に対して、タリバンは殺害の意思を表明した。<史上最年少で2014年ノーベル平和賞に決まったパキスタン出身のマララ・ユスフザイさん(17)=英バーミンガム在住=は10日、「(受賞は)終わりではなく、始まりに過ぎない」と述べ、改めて女子教育の普及に向けた決意を語った。だが、受賞決定を受け、パキスタンのイスラム武装勢力は11日、マララさんを「不信心者」と非難する声明を発表。武装勢力の襲撃にも信念を曲げず、故国の教育改革を訴え続けてきたマララさんの活動は、平和賞を得てなお正念場が続く>(以上「毎日新聞」引用)

 紛争解決に武力行使を行うのは万止むを得ずの場合のみだ。国際紛争において譲歩は必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。かのチェコ併合進駐したヒットラーに対して、英国首相チェンバレンは武力による阻止ではなく、チェコの併合のみに止まるのならヒットラーの要求を呑む方が平和的だと考えて是認した。しかしヒットラーは国際社会は弱腰だと勘違いした。チェコ進駐はヒットラーの野望の第一歩になってしまった。

 私が集団的自衛権を容認するのも近隣諸国に武力を背景にした膨張主義・帝国主義国家があるからだ。それはいうまでもなく中共政府のことで、武力を背景とした東南シナ海への進出は常軌を逸している。当然日本はそれに対して不当性を世界の国際世論に訴えなければならないが、何しろ国連がこうした事態に対して機能不全な国際機関だから実効性が疑わしい。その上、中共政府がいつの間にか安保理常任理事国になってしまうご都合主義の国際機関だ。中共政府に対して経済封鎖を試みるどころか、すり寄る国家まで出てくる始末だ。
 日本や東南アジア諸国が中共政府の非を鳴らしたところで、中共政府はお構いなく着々と南シナ海の岩礁に大量の土を運び込んで港湾施設や飛行場を建設して「既成事実」を積み上げている。まさしく強盗国家というべき所業に対して、国連は対抗手段の行使どころかただただ沈黙を続けて傍観している。こうした事態に対して日本は集団的自衛権を行使して東南アジア諸国と一緒になって東南シナ海へ進出している中共政府に武力的な対峙を強める必要がある。

 タリバンは国家ですらない。いわば盗賊の類だ。まともに支配地域の治安を維持し、支配地域住民の暮らしと自由を保障するものでもない。単なる暴力装置がイスラム教の意匠を身に纏って恐怖支配を拡大しようとしているに過ぎない。
 抑圧されている人たちや女性にとって悪夢以外の何物でもない。世界的な宗教が特定の人たちの欲望実現のためなら武力行使して殺害しても構わない、とする教義を持つとは思えない。タリバンなどをイスラム原理主義と称しているがイスラム教の指導者は無政府的な武力行使はイスラム教とは無縁だと宣言すべきだ。さもなくば国際的な通念としてイスラム教はテロを容認するカルト集団だと定着しかねない。その危険性を孕んでいるとの認識をイスラム教の指導者は持つべきだ。

 武力による征服は必ず灰燼に帰す。それは世界史が証明している。ローマ帝国しかり、チンギス・ハンのモンゴル帝国しかり、世界支配したスペインをはじめ、南アメリカやアフリカやアジアを恣に侵略植民地とした欧米諸国しかり、彼らの武力による支配地域はそれぞれの民族の国家として独立している。
 武力による支配は武力により倒される。そうした運命にあることを知るべきだ。タリバンは一日も早く武力による支配の野望を捨てて、理と法による民主主義政権の樹立を目指すべきだ。マララ女史をたとえ殺害しても、第二第三のマララ女史は必ず出現して、タリバンの野望は必ず灰燼に帰すだろう。


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