政治家は経営者感覚を持て。
「武士の商法」という言葉がある。明治維新になり廃藩置県が断行されると武士は俸禄を失い、生活の糧を得るために商売を始める者がいた。しかし彼らに商人の真似は出来ず、次々と破産していった。
<農林水産省など5省が所管する八つの独立行政法人が出資した関連会社のうち、経営の行き詰まりで89社が清算するなどして、出資総額の9割近い計約535億円が回収不能となっていることが、会計検査院の調べでわかった>(以上『読売新聞』引用)。
大学などを独立行政法人としたが、それにより国は行政の簡素化と効率的な運営を図るとした。しかし現実はそううまくはいかない。まさしく「武士の商法」が乱立したに過ぎない。
行政独立法人とすることにより国家公務員から法人職員に切り離し、公務員数を表面上は減少させた。歳出から貸付金へと変更することにより歳出削減したように装うこともできた。しかし本質的な目的に関してどれほど議論したのだろうか。
国立大学は次世代の国家の人材を育成するためにあった。独立行政法人に改名・改組しても本来の目的は変わらないはずだ。しかし独立行政法人化することにより、国は大学や研究機関に対する歳出を削減する下心もあったのではないだろうか。
国立大学の学費が高いのには驚く。私は地方の国立大学で学んだが、昭和40年当時の学費は月額千円で、年間でも1万2千円だった。当時の感覚として県立高校の学費よりも安いと感じたものだ。
しかし現在はどうだろうか。年間の授業料だけでも53万円を超えている。私学はほぼその倍ほどだ。しかも日本の奨学金は貸与型で、給付型は成績優秀者などごく一部に限られている。つまり貧乏人は大学進学が困難な状況になっている。なぜ国立大学の授業料を値上げしてきたのだろうか。
<リスクの高い研究開発に投資した結果、事業化できなかったのが主な原因。出資金の大半には国費が充てられており、基礎研究支援とのバランスが課題になりそうだ。 独立行政法人による出資金は、国の会計からの支出が主な財源。検査院は出資金が有効活用されているかどうかを調べるため、全98法人と出資先の関連会社計285社を調査した。
このうち8法人が2013年3月までに、出資先の89社について、清算するか、株を売却していた。清算に伴う分配金や株の売却代金などは約70億円にとどまり、出資した約605億円のうち約535億円を回収できなかった。
回収不能額が最も多かったのは、農水省所管の「農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構、茨城)の計約240億円。42社に出資し、加工米の新開発や豚の品種改良などを研究したが、実用化されなかったり、製品になっても売れなかったりした>(以上<>内は『読売新聞』引用)
国が基礎研究を怠ればそれから発展する実用研究は進展しない。国家として学術研究をどのように位置づけるのか、国の将来にかかわる問題だ。
勿論、野放図な研究費の乱費は許されないが、研究とは成果の伴わないカネがかかるものだ。研究バカによってどれほど輝かしい成果を手にしてきただろうか。だが、すべての研究に成果が伴えば、それは研究ではなく事業と呼ぶべきだろう。だから研究者には高い倫理観が求められる。
独立行政法人化したために大学間や研究所間で人事交流が阻害されていないか、成果を求められる余り基礎研究を怠って時代の最先端の研究へ集中しすぎてはいないか。
基礎のない建屋は倒壊する。基礎研究がしっかりしていない発見や発明は往々にして錯誤であったりするものだ。この国は国家百年の計をどのように考えているのだろうか。まさか官僚や政治家たちは人材育成を促成栽培のインスタントで済ますつもりではないか。
国に会計検査院や人事院などといった盲腸のような機関を抱える余裕があるなら、元国立大学や元国立研究所で必要とされる研究費や人材育成に予算をケチる必要はない。
天下る官僚養成機関の会計検査院なら監査法人に監査を委託する方がどれほど高効率だろうか。民間労働賃金に準拠しない人事院勧告なら、公務員に聖域なく労働三権を与えて政府の「報酬委員会」と公務員の代表とが団交した方が遙かに良い。その方が民間の常識と現実を公務員給与や諸手当に的確に反映できるだろう。そうした改革こそすべきで、姑息な公務員隠しや歳出隠しのための改組や切り離しを許してはならない。
<農林水産省など5省が所管する八つの独立行政法人が出資した関連会社のうち、経営の行き詰まりで89社が清算するなどして、出資総額の9割近い計約535億円が回収不能となっていることが、会計検査院の調べでわかった>(以上『読売新聞』引用)。
大学などを独立行政法人としたが、それにより国は行政の簡素化と効率的な運営を図るとした。しかし現実はそううまくはいかない。まさしく「武士の商法」が乱立したに過ぎない。
行政独立法人とすることにより国家公務員から法人職員に切り離し、公務員数を表面上は減少させた。歳出から貸付金へと変更することにより歳出削減したように装うこともできた。しかし本質的な目的に関してどれほど議論したのだろうか。
国立大学は次世代の国家の人材を育成するためにあった。独立行政法人に改名・改組しても本来の目的は変わらないはずだ。しかし独立行政法人化することにより、国は大学や研究機関に対する歳出を削減する下心もあったのではないだろうか。
国立大学の学費が高いのには驚く。私は地方の国立大学で学んだが、昭和40年当時の学費は月額千円で、年間でも1万2千円だった。当時の感覚として県立高校の学費よりも安いと感じたものだ。
しかし現在はどうだろうか。年間の授業料だけでも53万円を超えている。私学はほぼその倍ほどだ。しかも日本の奨学金は貸与型で、給付型は成績優秀者などごく一部に限られている。つまり貧乏人は大学進学が困難な状況になっている。なぜ国立大学の授業料を値上げしてきたのだろうか。
<リスクの高い研究開発に投資した結果、事業化できなかったのが主な原因。出資金の大半には国費が充てられており、基礎研究支援とのバランスが課題になりそうだ。 独立行政法人による出資金は、国の会計からの支出が主な財源。検査院は出資金が有効活用されているかどうかを調べるため、全98法人と出資先の関連会社計285社を調査した。
このうち8法人が2013年3月までに、出資先の89社について、清算するか、株を売却していた。清算に伴う分配金や株の売却代金などは約70億円にとどまり、出資した約605億円のうち約535億円を回収できなかった。
回収不能額が最も多かったのは、農水省所管の「農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構、茨城)の計約240億円。42社に出資し、加工米の新開発や豚の品種改良などを研究したが、実用化されなかったり、製品になっても売れなかったりした>(以上<>内は『読売新聞』引用)
国が基礎研究を怠ればそれから発展する実用研究は進展しない。国家として学術研究をどのように位置づけるのか、国の将来にかかわる問題だ。
勿論、野放図な研究費の乱費は許されないが、研究とは成果の伴わないカネがかかるものだ。研究バカによってどれほど輝かしい成果を手にしてきただろうか。だが、すべての研究に成果が伴えば、それは研究ではなく事業と呼ぶべきだろう。だから研究者には高い倫理観が求められる。
独立行政法人化したために大学間や研究所間で人事交流が阻害されていないか、成果を求められる余り基礎研究を怠って時代の最先端の研究へ集中しすぎてはいないか。
基礎のない建屋は倒壊する。基礎研究がしっかりしていない発見や発明は往々にして錯誤であったりするものだ。この国は国家百年の計をどのように考えているのだろうか。まさか官僚や政治家たちは人材育成を促成栽培のインスタントで済ますつもりではないか。
国に会計検査院や人事院などといった盲腸のような機関を抱える余裕があるなら、元国立大学や元国立研究所で必要とされる研究費や人材育成に予算をケチる必要はない。
天下る官僚養成機関の会計検査院なら監査法人に監査を委託する方がどれほど高効率だろうか。民間労働賃金に準拠しない人事院勧告なら、公務員に聖域なく労働三権を与えて政府の「報酬委員会」と公務員の代表とが団交した方が遙かに良い。その方が民間の常識と現実を公務員給与や諸手当に的確に反映できるだろう。そうした改革こそすべきで、姑息な公務員隠しや歳出隠しのための改組や切り離しを許してはならない。