過去の成功経験でない地方再生計画でなければならない。

 地方議員の資質低下は各地の都道府県議の不祥事でも明らかだろう。それらは氷山の一角でしかない。地方議会が実質的に地方公務員が策定する予算案を丸呑みしていることからも解るだろう。
 実に不可解な街造りが行われていることに対しても、地方議会は満足な意見提言も出来ないようだ。すべては執行部の提案通りに推進されている。
 執行部案とは過去の成功体験の再現に他ならない。相変わらず駅前を中心市街地と位置付けた再開発案が提案されて、そこに『合併特例債』を集中させた。しかし大した効果も出ないうちに10年の期限が切れて、地方債の山が残っただけという結果になっている街が多い。

 そこに降って湧いた「ひと まち しごと」地方再生だ。さっそく石破氏は「補助金の自由度を上げると地方に使われるだけだからな」と懸念を表明したというが、地方を補助金漬けで甘やかしたのは中央官僚たちだったではないか。
 どこかで実施した街造り計画(案)を表紙と地名と数値を書き直しただけの、官僚天下りの街造りコンサルタント会社がプレゼンして補助金を貰ってきて、関連ゼネコンが土木工事を実施するという構図だ。しかし、それは駅前に何もなかった高度経済成長期に成功した「成功体験」に過ぎない。

 かつての「成功体験」は第二次製造・生産会社が発展し地域社会の若者の雇用吸収力として機能していた当時の話だ。現代の地方再生は過去のモノとは全く異なる。そもそも活動の中心となるべく若者・壮年層が社会の中核をなしていない。
 地方はどっちを見ても限界集落だらけだ。そこで政府は『コンパクトシティー』構想なるものを掲げて周辺部切り捨てを策している。地方都市の周辺部は切り捨てられて公共インフラも整備どころか廃止の方向だ。

 陶淵明が『帰去来辞』を作詩して官職を辞し帰郷したのは41才の時だ。「今まさに田園荒れなんとす」と郷里の荒廃に胸を痛めたのは古今の歴史を問わない真実のようだ。
 地方再生の切り札は「少子対策」と「Uターン投資減税」による地方への企業回帰しかない。子育てをし易い地方で財政的な支援を子育て所帯に行うのは未来への投資だ。そしてUターン投資減税は所帯を養う雇用の場を増加させるためのものだ。

 無責任な企業収益最優先の評論家たちの甘言に乗り、無能な経営者たちが手軽に労働費削減を目論んで中国や韓国へ企業を移転させてしまった。それが根本的に地方の再生力を奪った。
 地方スローライフ礼賛のテレビ番組では子供を育てて大学へ進学させることは経済的に極めて困難だ。若い親たちが地方のスローライフに憧れたとしたら、その皺寄せは子供たちの身の上に降りかかってくることを覚悟しなければならない。まずは確たる経済基盤が持てるように企業の地方展開がなければならない。牧歌的な地方生活は成長した親たちの願望でしかない。

 子供を持った親たちは基本的に子供たちのために生きる。安倍氏は不幸にしてそうした経験がないようだからご理解できないのだろうか。ともあれ、過去の成功体験を下敷きにした地方再生計画では地方債の山を築くだけで何も解決できないのだけははっきりしている。

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