多様な生き方を是認し容認する社会を創ろう。

 中学・高校の親友と三十数年振りに会ってゆっくりと語り合った。彼は京都の旧帝大を卒業後、大企業に就職し部長職まで勤め上げたが、定年時にあっさりと退職した。それは積年の願望があったからだ。
 彼は教員資格を取るために私立大学に入り、親子以上も年の離れた学生たちと学んで高校社会科教諭資格を取得した。しかし還暦を過ぎた新米教諭を雇うところは殆どなく、苦労した挙句に各種学校の一つに職を得た。

 そこは高校中退者や中卒者が大検を受けるための各種学校で、多くの生徒が勉学の習慣が身に着いていない年齢的にもばらばらな学校だそうだ。社会科の資格しかないが数学も時には教えざるを得ないようだが、教えてみて改めて驚くという。
 二十歳前後の生徒が簡単な算数、たとえば1/2+1/3が解らないという。彼は平気で1/5と答えるそうだ。彼が勉強嫌いになったのは小学校中学年からだったということが解ったという。小学校で彼は『おいてきぼり』にされ、それ以降は義務教育の間『お客さん』扱いだったのだろう。

 中には中一で学習する+、-の加減すら解らない生徒がいるという。-2×(-2)が+4になるのが解らない生徒もいるという。それで義務教育を習得したといえるのだろうか。彼らも中学の卒業証書を授与されているはずだから、この国の義務教育は終了したとみなされているのだろう。
 勉学に不熱心な子供もいるだろうが、理解するのに時間のかかる子供もいる。みんなが一緒に一年経過すると次の学年に上がる現在の進級の仕組みは正しいのだろうか。理解の遅い子供は小学五年を二回やっても良いし、それを学校や社会が認め容認することが必要ではないだろうか。

 全員が同じエレベータに乗って、一年経過すれば次の階へと全員が上がるのが必ずしも必要ではない。飛び級を認めるのであれば、同様に遅延も認めてはどうだろうか。
 何も皆が同じである必要はない。ただし、解らないからといって授業中に立ち歩いたり奇声を発して他の児童生徒に迷惑を掛けてはならない。躾と学業は別物だ。躾に手抜きがあってはならない。

 定年を迎えて、私の親友は積年の願いだった教諭になった。それまでの会社のキャリアの通用しない一兵卒として働きだした彼に心の底から拍手を送りたい。


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