この不完全な文明の利器「自動車」

 またしても不幸な交通事故により小学三年女児3人が傷付いた。一人は意識不明だったが、その後はどうなっただろうか。自動車を運転していたのは61才の男性だったようだ。
 平成25年の数字によると年間交通事故発生数は629,021件で負傷者は785,867人、死者は4,373人で事故後30日以内の死者も含めると5,152人に達する。これほど大変な事態が日本国民の身近で毎年発生しているのだ。

 文明の利器としてこれほど反人間的なものがあっただろうか。たとえば草刈機や電動工具でこれほどの事故が起こっていたら、非難轟轟たる抗議が製造メーカーに殺到するだろう。
 政府もメーカーに対して利用者の安全対策を徹底するように指導するに違いない。しかし自動車メーカーに対してそうしたことは一切なかった。交通戦争と呼ばれた昭和40年代、年間一万人以上も犠牲となった当時でも、排出ガス基準を厳しくしても交通事故を無くす対策を自動車メーカーに求めたことがあっただろうか。

 製造者責任を問われても仕方ないほど自動車は利用者と道路を使用する人間にとって不完全極まりない危険な利器だ。やっと最近になってインサイトなどの前方障害認識装置により自動停止する装置を装備する自動車が発売されるようになった。しかし、それでもまだまだ不完全だ。
 生物である人間は必然的に個々によってバラツキのある存在だ。一定の操縦基準に達して運転免許を取得するが、本人が認識するか否かに関わらず、運転適性基準を下回る状態でハンドルを握ることも有り得る。もちろん飲酒や危険ドラッグなどの吸引による運転適性喪失状況でハンドルを握るのは犯罪だが、そうではなく健康状態が支障をきたして運転適性基準を下回ることも考えられる。人間とはそうした存在だ。

 だから利器たる自動車が「不完全な人間」を補う必要がある。補って使用者は勿論、道路上の人たちに危害を与えないことが大切だ。自動車産業に携わる製造者は全員それぐらいの製造哲学を持つ必要がある。
 物体識別・認識装置はすでに存在する。しかもそれほど嵩張る物でもないし、値段も高価なものではない。自動車本体の価格に比較すればすべての自動車への装備も不可能ではない。

 自動車産業界は電気自動車F1レースを実施して、電気自動車でもパワフルでスピードが出ると印象付けたいようだが、街中をF1が疾走するわけではない。そうした特殊な自動車開発よりも、文明の利器として人間を傷付けない安全な自動車の実現にこそ製造努力を傾注すべきだ。
 電気自動車に一言。未来の乗り物として電気自動車はなり得ないと思わざるをえない。なぜなら高性能バッテリーが新たな環境問題を提起するからだ。リチウムイオン・バッテリーの経年劣化も安定的な性能の維持に適しているか疑問だ。

 すべての自動車を電気自動車に置換した場合、どれほどの発電装置が必要となるのか。それと同時に、どれほどの容量の送電線が必要となるのか。すべてを試算してみると良い。電力産業と自動車産業の結託した結論として電気自動車オシがマスメディアを通じて喧伝されているに過ぎない。
 一次的な石油などのエネルギー源から発電装置を稼働させて電気に置換し、それを送電線で各地へ送ってからステーションで自動車のバッテリーに蓄えて、再びモーターにより駆動力に転換するという数段階のエネルギー置換が行われる際のエネルギーロスを考慮しているのだろうか。電気自動車の駆動に到るまでのエネルギーロスを総計すれば駆動力としてのモーターの高効率を考慮しても、電気自動車そのもののエネルギー非効率さを論じなければならないだろう。

 そうすれば発電装置から水素を発生させて、水素で動く内燃機関を駆動させる方が何倍も高効率だ。日本のマツダは水素で駆動するロータリーエンジンを既に開発済みだ。実証試走も完了している。なぜ日本政府は世界にマツダのロータリーエンジンを未来の駆動装置としてプレゼンテーションしないのだろうか。
 燃料電池車一台に300万円の補助金を出して燃料電池車を普及させようとする政府にはある特定の自動車会社との癒着すら感じさせる。燃料電池車が未来の乗り物になり得ないと考えるのは、その複雑な「燃料電池」そのものにある。絶えず振動と塵芥にさらされる自動車に搭載するには「燃料電池」は繊細な技術に過ぎる。どこまで実走に耐えられるのか疑問だ。しかも燃料電池に使用する水素は高純度が求められるのもネックになると思わざるを得ない。

 公平な立場から未来の自動車の選択をすべきだ。そうしないとガラケーと同じ運命を辿らないとも限らない。現在の一台700万円以上もする燃料電池車が大量生産により価格が引き下げられるとは燃料電池の構造的な面から思えないし、その普及も悲観的にならざるを得ない。むしろ家庭電源や非常電源として燃料電池は太陽光発電と水の電気分解による水素発生装置の開発により普及させるべきだろう。
 現在のガソリン排ガスまき散らし装置の自動車は淘汰されて然るべき存在だ。人類の叡智を以てすれば、安全で人を傷つけない自動車は夢物語でないはずだ。現代の街中を走る自動車は基本的に一世紀以上も前にフォードが走らせて以来、殆ど進歩していないといえる。


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