老いゆく国は衰退する。

 今日は敬老の日だ。団塊の世代と呼ばれる終戦直後に生まれた人たちも65才の高齢者の仲間入りをした。<総務省は14日、「敬老の日」に合わせて15日現在の高齢者の人口推計を公表した。65歳以上の高齢者人口が3296万人(総人口の25・9%)、75歳以上が1590万人(同12・5%)となり、いずれも過去最高。「団塊の世代」の1949年生まれが65歳になったのが一因で、4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上となる>(以上『朝日新聞』引用)

 団塊の世代は年間250万人も生まれた、まさしく団塊だ。その人たちが「労働人口」から外れる。新しく労働人口となる新15才は120万人ほどでしかない。差し引きで130万人も労働人口は減少している。
 この国は経済規模からみる限り衰退の方向へ向かっている。GDPでも60%を構成している最大の個人消費も人口減社会では爆発的に伸びることは期待できないだけでなく、むしろ減少に転じるしかない。それでもこの国は対前年比増の国家予算を組み続けて「足らないから消費増税だ」と自公政治家たちは息巻いている。なんと愚かなことだろうか。

 可処分所得が増えない経済環境で、消費増税を行えば個人消費は停滞するのは誰が考えてもわかることだ。ただ政権与党の政治家たちには理解不能のようだ。だから平気で『消費税10%は国際公約だ」と訳の解らないことをほざく。
 日本国民によって選ばれた政治家たちが日本国民のために政治をやらないで、「国際公約」と称してグローバル投機家たちのための政治をやっている。国民には「株価が上がっただろう、文句はいうな。株価は半年先一年先の景気を表す」とわけの解らない妄言を繰り返している。

 安倍政権が出来て一年半以上も経過した。株価が上がって一年半以上も経過したことになる。それでも景気は一向に上昇しない。株高で潤うのは株式投機をしている一部の人たちだけだ。
 古来より「公産なくして恒心なし」といわれている。国民に安定した雇用の場を提供するのが政治の役割だ。明治政府は「殖産興業」で国民に雇用の場を与え、国民は恒産を得て安定的な家庭を営んで人口は江戸時代の3000万人から明治末期には6000万人に倍増した。

 しかし自公による小泉政権下で新自由主義政策が推進され「自己責任」という概念を個々人に押し付けて「豊かな暮らしを手に入れるも、ホームレスになるも個人の責任」と突き放した「派遣業法の規制緩和」が推進されて、アッという間に終身雇用制度が崩壊してしまった。
 企業に社員の生活を保障する必要がなくなれば、これほど気楽な経営はない。必要な時に必要なだけ雇用し、不要になれば他の原材料のように労働力を「調節」すれば良い。それにより企業は常に最大利益を常に手にすることが出来るのだ。労働力は派遣業法により「調節」できる簡便なものに変貌した。それが個々人の暮らしを不安定化し結婚願望や結婚意欲を大きく削ぐ要因になった。

「恒産なくして恒心なし」とは良くいったものだ。安定的な職がなければ人々の心も安定しない。安定的な職がないからその場凌ぎの職で口を糊塗するしかない。それでは伴侶を得て伴侶と力を合わせて安定的な家庭を営むことはできない。
 愚かな経営者が企業を海外移転して「最大利益」を実現して最大所得を手にしようとした。その結果として、この国に何が残っただろうか。企業の内部留保は最大かも知れないが、勤労者平均所得は年々低下している。ついには勤労所得を得ようにも得られない高齢者が最大化してしまった。

 この国の政治家たちは過去の資産を食い潰そうとしている。人口という資産の目減りは激しく、国家の衰退が現実の数字に表れるのは時間の問題だ。安倍氏は「女性も働け」と叫んでいるが、彼は子育てをしたことがない。不幸なことだが、彼は子宝に恵まれなかった。
 日本男子は「自分の稼ぎだけで家庭を守りたい」という強い願望を持っている。それが叶えられないほど労働所得は低下し、男たちの誇りは地に墜ちている。それが世界標準だというのならグローバリズムなぞ糞喰らえだ。政治家は1%のために国民から負託を受けて政治をしているのではない。99%の国民のために政治を行うのが政治家の本分だ。「恒産なくして恒心なし」という言葉をこの国の政治家は噛みしめて、先人の智慧に学ぶべきだ。


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