「引き摺り死亡」には道路交通法ではなく、すべて未必の故意による「殺人罪」を適用せよ。

<当て逃げを止めようと車にしがみついた男性を、約200メートル引きずって殺害したとして、栃木県警宇都宮東署は9日、県内の専門学校生の少女(19)と、矢板市片岡の派遣社員村上竜司容疑者(30)を殺人の疑いで逮捕し、発表した。「怖くて逃げた」などと、容疑を認めているという>(以上『朝日新聞』引用)
 またしても自動車による引き摺り殺人事件が起きた。車で人をアスファルト道路で引き摺るとどうなるか、重大な結果を招くことは容易に予想できることだ。それが「怖くなって逃げた」というのは解せないし、その前に窓枠にしがみついた人の車に「当て逃げ」しようとしたことも忘れてはならない。つまり事故を起こして逃走しようとしていたことから発生した「事件」なのだ。

 事故を起こせば運転者は適切な措置を講ずべきと道路交通法に定めてある。人身事故の場合は人命救助を最優先すべきとも書かれている。今回の場合は駐車場での「当て逃げ」だから人身事故ではない。実際に車を停止して当てた車の所有者と事故処理の話し合いをしていればそれほど大事にはなっていない。
 しかし「逃げよう」としたことは重大だ。しかも助手席には30才の社会人も同乗していたというではないか。一人前の男が運転していた19才女性を諌めるでもなかったとしたら共同正犯というべきだ。彼の罪も重いといわざるを得ない。

 今回の場合も最初の「接触」は道路交通法に定める事故だろう。しかし「逃走」しようとした時点で「当て逃げ」と罪は重くなり、次に「逃すまい」とした被害者が車にしがみついているにも拘らず運転を継続した時点で「未必の故意」による「殺人」は成立すると考えざるを得ない。
 自動車運転による「殺人」を道路交通法で裁くのはいい加減やめることだ。人が運転するからには「事故」は避けられない。現代の車は日本だけでも年間7000人も事故死する「不完全」な危険極まりない乗り物だ。しかし日々の暮らしで車を利用しないわけにはいかないのも厳然たる事実だ。

 それなら「事故」と「未必の故意」とを厳しく選別すべきだ。運転者が200メートルも人を意識しないで車を走らせて引き摺り続けることはあり得ない。これは明確な「殺人」事件だ。ただナイフが車に置き換わっただけに過ぎない。
 ラジオを聴いていたら若い女性DJが「プロの運転手の方々と違って、私は生活の息抜きに車を走らせる」などと言っていた。能天気もいいところだ。プロの運転手であれ誰であれ、車を走らせるのは「命懸」という認識を持たなければならない。それは自分の命であると同時に他人の尊い命を瞬時にして奪うかも知れないという「命懸」の行為だ。「気分転換」などで車を走らせてもらっては困る。比喩でなく「注意一秒、怪我一生」なのだから。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。