テレビ販売の期待を4Kに賭けるというが、
4Kの一般発売を2015年に早めるという。その理由は地デジ化で普及した薄型テレビ需要が一巡し、現在の状況では新規需要が低調なまま推移するとみられているからだそうだ。
しかしテレビ画面を現在よりも精緻なものにしたところで、新規需要がどれほどあるというのだろうか。むしろテレビのガラケー化へと突き進んでいるのではないだろうか。
テレビがつまらなくなった、という声をよく聞くが、それはテレビ受像機がつまらなくなった、ということではない。テレビ番組というソフトがつまらなくなったということなのだろう。
どのチャンネルを回しても同じような芸人が出て、同じような雛壇芸人が大して面白くもない話を盛って大袈裟に拍手して笑い転げる。そうした『笑いの押し売り』と安易な番組制作手法にはエンザリだ。
デビが面白くなくなった原因の一つに広告宣伝代理店の独占に近い寡占状況が挙げられるだろう。どんなに意識して排除しても会社には独特な社風というかカラーがある。どのテレビ局にチャンネルを切り替えても同じようなカラーが出てきては視聴者は飽き飽きしてしまう。
政治に対する姿勢もどのテレビ局も似通っていて、同じような評論家が顔を出して陳腐なことを平気で発言している。安倍政権が掲げる経済政策アベノミクスの実態は日銀の異次元金融緩和だけの実態不明な政策だったにも拘らず、どのテレビ局も安倍ヨイショを競演してきた。
デフレ下に増税するのは経済を失速させることだと常識論を展開していた女性評論家はテレビ画面から消えた。それ以前にも時々の政権批判を行った高名な評論家や辛辣な時事分析を行っていた評論家たちもいつの間にかテレビから消え去った。
事実と異なることや強い思い込みをガーガーと吠える反日・女性評論家は未だに生き残っているというのに、常識的な評論家たちはテレビという活躍の場から放逐されてしまった。それで視聴者のテレビ離れが始まった、と嘆くのは当たり前のことを嘆いている無能の象徴のようなものだ。
この国の『公正取引委員会』はなぜ広告業界のガリバー型寡占状況を問題視しないのだろうか。オーナーシップ制のテレビ電波割り当てを、なぜ国会議員は誰一人として問題として国会で取り上げようとしないのだろうか。
この国のマスメディアを牛耳っている大手新聞社が揃いも揃って『株式公開』していない、特殊株主によって独占されている状況を、評論家や言論人は誰一人として問題視しないのだろうか。この国の自由な報道があると、国民は信じ込まされているが、それすらも巨大な虚構に過ぎない、国民はマスメディアにより世論操作されているのではないかと疑いをなぜ持たないのだろうか。
しかしネット市民の拡大により、この世には様々な考え方や価値観がある、という見方が浸透してきた。それにより既存の宅配新聞の購買部数が激減しているという。それとテレビ離れと関係があるだろう。
テレビの4K化により販売数を伸ばそうと考えるのは間違いだ。おそらく失敗に終わるだろうが、4K販売数を前もって予測してもらい、販売戦略の成功の想定数を宣言してもらったらより解り易いだろう。
テレビに登場する女優の毛穴まで見ようという趣味はない。たとえ美しい自然が映し出されたとしても、近眼で老眼が混じった肉眼で、いったい何を見ろというのだろうか。
4Kなどのハード開発を否定するものではないが、一般放送に関しては見当違いの努力だと批判するしかない。テレビがつまらなくなったのはどのテレビ局も金太郎飴になってしまったということだ。多様性が失われたテレビ業界に多数のチャンネルが必要か、という根本的な問いが視聴者から発信されていることにテレビで飽食している連中は気付くべきだ。
しかしテレビ画面を現在よりも精緻なものにしたところで、新規需要がどれほどあるというのだろうか。むしろテレビのガラケー化へと突き進んでいるのではないだろうか。
テレビがつまらなくなった、という声をよく聞くが、それはテレビ受像機がつまらなくなった、ということではない。テレビ番組というソフトがつまらなくなったということなのだろう。
どのチャンネルを回しても同じような芸人が出て、同じような雛壇芸人が大して面白くもない話を盛って大袈裟に拍手して笑い転げる。そうした『笑いの押し売り』と安易な番組制作手法にはエンザリだ。
デビが面白くなくなった原因の一つに広告宣伝代理店の独占に近い寡占状況が挙げられるだろう。どんなに意識して排除しても会社には独特な社風というかカラーがある。どのテレビ局にチャンネルを切り替えても同じようなカラーが出てきては視聴者は飽き飽きしてしまう。
政治に対する姿勢もどのテレビ局も似通っていて、同じような評論家が顔を出して陳腐なことを平気で発言している。安倍政権が掲げる経済政策アベノミクスの実態は日銀の異次元金融緩和だけの実態不明な政策だったにも拘らず、どのテレビ局も安倍ヨイショを競演してきた。
デフレ下に増税するのは経済を失速させることだと常識論を展開していた女性評論家はテレビ画面から消えた。それ以前にも時々の政権批判を行った高名な評論家や辛辣な時事分析を行っていた評論家たちもいつの間にかテレビから消え去った。
事実と異なることや強い思い込みをガーガーと吠える反日・女性評論家は未だに生き残っているというのに、常識的な評論家たちはテレビという活躍の場から放逐されてしまった。それで視聴者のテレビ離れが始まった、と嘆くのは当たり前のことを嘆いている無能の象徴のようなものだ。
この国の『公正取引委員会』はなぜ広告業界のガリバー型寡占状況を問題視しないのだろうか。オーナーシップ制のテレビ電波割り当てを、なぜ国会議員は誰一人として問題として国会で取り上げようとしないのだろうか。
この国のマスメディアを牛耳っている大手新聞社が揃いも揃って『株式公開』していない、特殊株主によって独占されている状況を、評論家や言論人は誰一人として問題視しないのだろうか。この国の自由な報道があると、国民は信じ込まされているが、それすらも巨大な虚構に過ぎない、国民はマスメディアにより世論操作されているのではないかと疑いをなぜ持たないのだろうか。
しかしネット市民の拡大により、この世には様々な考え方や価値観がある、という見方が浸透してきた。それにより既存の宅配新聞の購買部数が激減しているという。それとテレビ離れと関係があるだろう。
テレビの4K化により販売数を伸ばそうと考えるのは間違いだ。おそらく失敗に終わるだろうが、4K販売数を前もって予測してもらい、販売戦略の成功の想定数を宣言してもらったらより解り易いだろう。
テレビに登場する女優の毛穴まで見ようという趣味はない。たとえ美しい自然が映し出されたとしても、近眼で老眼が混じった肉眼で、いったい何を見ろというのだろうか。
4Kなどのハード開発を否定するものではないが、一般放送に関しては見当違いの努力だと批判するしかない。テレビがつまらなくなったのはどのテレビ局も金太郎飴になってしまったということだ。多様性が失われたテレビ業界に多数のチャンネルが必要か、という根本的な問いが視聴者から発信されていることにテレビで飽食している連中は気付くべきだ。