司法制度改革は国民の権利を尊重する方向で行われるべきだ。

 読売新聞によると<新しい捜査・公判のあり方を検討している法制審議会(法相の諮問機関)の特別部会が9日開かれ、裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査事件で、警察と検察に取り調べの全過程の録音・録画(可視化)を義務づける答申案を決定した>というが、同時に<容疑者らが捜査に協力すれば刑事処分を軽くする司法取引の導入や通信傍受の拡大も決まり、刑事司法制度は大きく変わることになる>というのだ。

 取り調べの完全可視化は当然行われるべきで異論はないが、いわゆる『司法取引』や『通信の自由の侵害』には反対せざるを得ない。何よりも『司法取引』による証言をを証拠採用することは証言の信用性を大きく歪めかねない。
 自白や証言を証拠として犯罪を立件するのは危険だ。犯罪の立件はあくまでも物証に基づくべきだ。自白や証言が嘘でないと誰が言い切れるだろうか。通信傍受にしても傍受されていることを利用して逆に捜査を誘導することも可能だ。あくまでも犯罪捜査と立件は物証主義を貫くべきだ。

 犯罪捜査に当たる人たちの便益を考えて国民の権利侵害を認めてはならない。現在の犯罪捜査は一昔前よりも格段に進んでいる。道路にはオービスが方々に設置され、街には防犯カメラが氾濫し、スマートフォンなどの通話記録はガッチリと抑えられる。つまり国民の日常は克明に記録されている。
 さらに司法取引を導入しなければ犯罪捜査が出来ないとしたら、この国の捜査に携わる人たちの能力は一昔前よりも格段に劣化していると指摘されても仕方ないだろう。

 取り調べ段階での完全可視化は是非とも行うべきで、法改正は国民の権利を守り冤罪を決して生まないという断固たる決意の方向で進めるべきだ。そして『陸山会事件』のように小沢一郎氏に対する意図的な国策捜査によりこの国の政治が捻じ曲げられた陰湿な司法・検察・マスメディアのありようを問題にしない司法改革とは一体なんだろうか。
 国民は明日はあなたが小沢一郎氏の立場に立たされて、被告人同然の扱いで権利を制限されるかも知れない危険性を知らなければならない。司法改革とは国民の権利が不当に侵害されないようにするためのものでなければならない。司法取引を認めるなぞ、飛んでもないことだ。捜査当局の手抜きを許して、国民の権利を侵害する改革には賛成できない。


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