日本首相が外交の場で『痛切な反省』という接頭辞を用いるのはそろそろやめよう。

 世界戦争を起こして反省すべきは敗戦国だけではないはずだ。いかなる必然的な要因があって日本が先の大戦に踏み込まざるを得なかったのか、歴史を検証することなく迎合的に『痛切な反省』などという接頭辞を付することは世界に無用な誤解を与えるもとだ。
 安倍氏は外遊で訪れたオーストラリアで「第2次世界大戦で日豪が戦火を交えたことを踏まえ、「(日本人は)戦後を痛切な反省とともに始めた。日本が立てた戦後の誓いは今後も変わるところがなく疑問の余地はない」と述べたという。いうまでもなく、日本はオーストラリアに対して宣戦布告した覚えはない。ただ単にオーストラリアは米国や英国と友好関係にあったため日本に対して参戦したに過ぎない。そのオーストラリアが日本の捕虜を虐殺したり非人道的な扱いをしたことは周知の事実だ。

 日本政府指導者が未だに外交で訪れた地で『反省』を表明するのはいかがなものだろうか。先に彼の地を訪れた日本政府要人などが既に『遺憾の意』を表明しているのなら、重ねて訪問するたびに『謝罪』するのは行き過ぎではないだろうか。
 外交とは適当な距離感を保って、毅然とした態度で日本国の利益のために行う政治交渉だ。災害見舞でもないのに一方的に便益や経済援助を与えるのは相手国に対して礼を欠くのみならず、日本の外交姿勢を疑わせるものだ。そうした積み重ねが中・韓に非常識な賠償のお代わりを要求させる下地作りになっているのではないだろうか。

 反省すべきは日本の『反省好き』ではないだろうか。毅然とした態度で、主張すべきを主張する、という外交の世界の常識から逸脱した日本の外交姿勢は『本当に日本は酷いことをやったのか』と世界の人々に思わせてしまいかねない。
 戦争は反戦国だけが酷い人殺しを働いたのではない。戦争であるから、戦勝国も人殺しを働いたのは間違いないだろう。反省すべきは戦争に関わったすべての国と国民であるべきだ。無用な『反省』と『謝罪』の繰り返しは日本のみならず世界にとって良い結果をもたらさないだろう。


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