この国はいつから「子捨て国家」になったのか。

 産経新聞によると<田村憲久厚生労働相は1日の記者会見で、全国の児童相談所が対応した児童虐待のうち、親が育児を放棄(ネグレクト)し、自宅や路上に子供を置き去りにしたケースが平成22~24年度の3年間で計667件あったと明らかにした>(以上『産経新聞』から引用)だという。いつからこの国は『子捨て国家』になったのだろうか。
 山上憶良の歌ではないが「子は宝にしかめやも」という言葉は死語になったのだろうか。そういえば安倍政権も女性を労働力として活用すべきとして『配偶者控除』を廃止しようと目論んでいた。ただし、この制度廃止は余りに少子対策に反するとして一旦は引っ込めたようだが、安倍氏の執拗な性格からいえば必ず税制改革案の中に入れて来るだろう。

 母親だけで子育てをしないで父親も子育てに参加すべきだ、というのに異論はない。しかし女性参画社会だから女性は働くために子供を預ければよい、というのは余りに安易すぎはしないだろうか。
 かつては『鍵っ子』が社会問題になった時代があった。共稼ぎにより家庭が子育ての場でなくなり、寝起きをするだけの場へと変貌した。その延長線上に『子捨て』がありはしないだろうか。

 子育ては実は大変だ。子供の成長エネルギーは素晴らしく、それと正面から向き合えば半日でヘトヘトになる。それを無償の愛情でやり遂げるのが母親だ。わが子の成長に一喜一憂して悩むのも母親だ。女性をむやみやたらと家庭が引き剥がす政策は正しくない。
 もちろん、働きたい女性にはそのための支援制度を用意して子育ての負担を軽減すべきだ。しかし原則は子育ては家庭で行われるべきで、そのための子ども手当は手厚く支給すべきだ。保育事業で一人当たり一月に一体幾らの予算が消費されているのか、厚労省は国民に解り易く数字を開示すべきだ。そうすれば乳幼児一人当たり月額10万円を支給しても保育事業を縮小するのと比べれば安いものだ。

 手厚い子ども手当を支給する代わりに、役場の職員が月に一度は必ず子供の生存と養育状態を観察することを義務付けることだ。手厚い子ども手当を支給されて母親は自分の手で育てるのか、保育園に預けるのかを選択すれば良い。
 両親がいかなる状態であろうと、生まれてきた子供に責任はない。この国の国民として平等に生存する権利がある。人間らしく生きる基本的人権もある。この国の社会に『子捨て』があることに衝撃を受けない政治家は速やかにバッジを外すことだ。

 立憲主義国家の名誉を棄損するのも平気な、戦争大好き安倍氏は子宝に恵まれておられないようだが、国の礎は日本国民の肩にかかっているのは間違いのないところだ。子供への投資は未来への投資という認識で子ども手当を充実させるのがこの国の経済成長の観点からも、『法人減税』や『経済特区』や『外国労働移民』よりも遥かに優先されるべきではないだろうか。


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