年金改革のあり方は。

<日本の公的年金は2階建てとなっており、1階部分は全員共通の国民年金(そこから得られる給付は、老齢基礎年金・障害基礎年金・遺族基礎年金)、2階部分は勤労所得を得ている会社員や公務員が加入する厚生年金、共済年金である。その上の3階部分は、個々人がそれぞれの意思で自由に加入したり、あるいは勤め先の会社単位で任意に設置された個人年金や企業年金とよばれる各種の私的な年金保険>(「日本の年金制度」引用)
 日本の年金制度は公的には上記のように説明されている。しかし貰う方は三種類の年金があるというだけでそうした年金構造を実感しているわけではない。

 ただ現行の年金制度では恵まれた人と恵まれない人が存在する。高齢者の相対的貧困率は19.4%であり、生活保護自給者に占める高齢者世帯は45%と高くなっている。現在の年金制度では無年金や低年金の高齢世帯が発生しているにもかかわらず、年金改革でそうした貧困世帯の存在を問題視されてこなかったのではないだろうか。
<1985年の年金改革当時、従前の仕組みをそのままにしておくと、所得代替率は将来的に83%〜109%(現役世代よりも年金受給者の収入が高いなんてことも!)にもなる状態だった。これを69%水準に抑えるために、給付水準の削減を行った。2000年改革では、厚生年金の水準を5%削減し、その結果モデル年金の所得代替率は59%に下がることになった。さらに、2004年改革では、高齢化のピークを乗り切るために、所得代替率を50%に引き下げ、長期的にこの水準を維持するとした>(「日本の年金制度」引用)

 しかし年金制度改革で議論されたのは2階部分の支給率であって、無年金や最低年金がそれほど議論されたわけではない。支給額の抑制ばかりを議論し、貧困婚礼者の議論を放置するという社会保障の年金制度ではなく、高額年金受給者の議論ばかりしてきた。
 今後とも雇用形態の傾向から国民年金加入者が増加する趨勢にある。その国民年金の支給水準は一体何を目安にして決めているのだろうか。満額で月額6万6千円、平均支給額5万4千円ではいかに高齢者であっても暮らせない。暮らせない年金を「社会保障」だと称し、年金改革では高額所得者だった厚生年金加入者や押しなべて高額年金を支給している共済年金加入者の話ばかりしている。

 今は現役時代の50%を年金で保障しようとしているようだが、それが社会保障の理念とどれほど合致しているというのだろうか。高額給与所得を得ていた人たちが、老後も高額年金を受給する現行の年金制度は社会保障本来の在り方ではない。
 憲法に定める国民が文化的にして最低限度の久世氏を営む権利を担保するのが社会保障制度であり、そのための年金であるなら社会保障制度の大原則『負担は応能で支給は一律』に回帰すべきだ。特に別枠にされて国民の目の前で滅多に議論されない共済年金の在り方は問題だ。官僚たちが自分たちの既得権は確保したまま、年金制度を議論させるのは余りに姑息ではないだろうか。

 国民のための年金制度は生活保護制度の在り方と一体の問題として議論すべきだ。


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