最高裁は国民の知る権利を奪うモノの片棒を担ぐ三下か。

 摩訶不思議な判決が出たものだ。
<一九七二年の沖縄返還をめぐる日米間の密約文書開示訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は十四日、元毎日新聞記者西山太吉さん(82)ら原告側の逆転敗訴とした二審判決を支持し、上告を棄却した。西山さんらの敗訴が確定した。行政機関が存在しないと主張する文書について「開示の請求者側に存在を立証する責任がある」との初判断を示した。裁判官四人の全員一致の意見。 
 情報開示を求める市民に重い立証責任を課した判断で、特定秘密保護法の施行を控え、国民の知る権利に大きな制約を与えそうだ。
 判決理由で千葉裁判長は「いったん文書があると立証された場合、その後も行政機関が持っていると認められるかどうかは文書の内容や性質、作成の経緯などに応じて個別具体的に検討すべきだ」と判示。文書廃棄などの立証責任を行政側に負わせた一、二審とは異なる判断を示した。
 その上で、密約文書の探索調査をした外務、財務両省が「文書は見つからなかった」としたことを踏まえ、「交渉過程で作成されたとしても、不開示決定時に文書があったと認めるには足りない」と結論づけた。密約の存在を認めた一、二審の判断は維持した。
 一審・東京地裁判決は、米国立公文書館で見つかった米公文書や元外務省局長の法廷証言を基に、国が文書を作成、保有していたと認定。国に文書の全面開示を命じ、原告一人当たり十万円の賠償も認めた。二審・東京高裁判決も国が過去に文書を保有していたことは認めたが「外務、財務両省が秘密裏に廃棄した可能性を否定できない」とし、不開示は妥当と判断した。
 西山さんらは、日本が米軍用地の原状回復費を肩代わりするなど三つの密約に関する文書を開示請求。外務、財務両省は二〇〇八年、文書の不存在を理由に開示しなかった>(以上『東京新聞』引用)

 政府に秘密文書があるかどうか、国民の側が証明しなければならないとはいかなることだろうか。しかも沖縄返還をめぐる交渉の経緯を書き記した文書を返還時には破棄したとする最高裁の判断も『なかったという証明』をしなければならないのではないだろうか。
 国民の知る権利とは政府が国民から遊離した存在であってはならない、という立脚点に立つものだ。戦前のように政府が国民に君臨して「知らしむべからず、寄らしむべし」という姿勢を貫いていては碌なことにならないという深刻な反省の上に立つ憲法上の権利ではないだろうか。

 政府が国民の総意に基づいて執行する行政権は国民にすべて帰属すべきことは云うまでもない。従って官僚や政治家が行うすべての交渉や会議は議事録や会議録を残すべきであって、破棄したから存在しないのだろう、などと最高裁が行政府の肩を持ってどうするのだろうか。
 行政権は国民の生存すら脅かしかねない強大なものだ。それをコントロールするのが『国民の知る権利』だ。そのための情報開示であり、政府が勝手に定めた『特定秘密保護法』に対して最高裁が違憲判断を下さないというのも最高裁がいかに『国民の知る権利』に鈍感かを示しているだろう。

 最高裁は『逆立ちをした月光仮面』であってはならない。「弱気を挫き強きを助ける」最高裁なら必要ないではないか。国民一人一人の人権を尊重し、政府機関の暴走に目を光らせるべきが最高裁『司法の府』の役目ではないだろうか。
 昨今の最高裁判断を見ている限りでは、安倍政権が勝手に『解釈改憲』を断行するのも頷ける。かように腰抜けの最高裁なら何をやっても『違憲』判断により『行政の無効』を宣言されることはないと踏んでいるのだろう。舐められ切った『司法の府』だ。
 しかしそれでは一部既得権益者の利益は守られても、大多数の国民の利益は守られない。1%対99%の戦いはここでも始まっている。それは内閣府に操られている最高裁判事たちの無様さに原因がある。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。