司法取引よりも完全可視化を急げ。

 捜査権の拡大をもたらしかねない。司法取引を日本にも持ち込もうとしているようだ。<他人の犯罪事実を捜査機関に明らかにすると、その見返りに自分への求刑が軽くなる。そんな「司法取引」が、日本でも導入される見通しになった。23日にあった刑事司法改革の議論で方向性が示された。組織犯罪や共犯者がいる事件の解明に役立つ一方、うその証言によって、他人を冤罪(えんざい)に陥れたり、共犯者に罪をかぶせたりするなどの危険性も指摘されている>(以上『朝日新聞』引用)

 司法取引の例示として『麻薬取引』をあげて、下っ端の売人から大元の名前を聞き出すのに有効としているが、果たしてそうだろうか。また、司法取引で知りえた事実が公判でどの程度『証言』として有効とされるのか疑問が残る。
 自分が助かるためなら誰かを陥れても良い、という社会的な風潮が広まるのも怖い。それは道徳の荒廃をもたらしはしないだろうか。米国流を日本に持ち込むというのなら、取り調べの完全可視化こそ真似すべきだろう。自白の強要や誘導などがなされていないか、自白偏重の傾向が強い日本の捜査を本来の証拠重視を担保するためにも取り調べの完全可視化こそ早急に実施すべきだ。

 さらに取り調べに言及するなら、捜査権と公訴権を完全分離すべきだ。検察がその二権を併せ持つことから、どれほどの冤罪があったか、あるいは国策捜査が公然と行われたか、小沢一郎氏の『陸山会事件』を持ち出すまでもないだろう。
 捜査権は警察専属権として、検察は公訴権だけとすべきだ。公訴するに十分な捜査がなされていなければ公訴できないと判断すれば良いだけだ。検察がシナリオを描いて捜査し捜査情報をマスメディアに垂れ流して国民世論を操作するという、日本の司法にとって最悪な状況を我々はどれほど目撃してきただろうか。それこそ司法の暗黒といわなければならない。

 安易な司法取引の現場での容認は、さらなる冤罪を招きかねない。捜査道徳の荒廃をもたらしかねないし、社会的にも他人を陥れて自分は助かろうとする道徳的な荒廃は明らかだ。
 司法取引ではなく、裁判の過程で判事が被疑者の反省の程度として認めるに止めるのが望ましく、積極的に『お前を不起訴にしてやるから主犯の名前を言え』と捜査現場で取引するのはいかがなものだろうか。もっと捜査権者は毅然と振舞うべきだ。コソコソと司法取引などに心を砕くべきではない、むしろ取り調べを完全可視化して完全な証拠のもとに事件の全貌を明らかにする技術こそ磨くべきだ。


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