老後はモノを持たない、処分する生活。

 すでに夫婦とも両親を送った老人所帯だが、つくづく思うのはモノを処分する生活を心掛けておかなければならないことだ。それほど広くない家に暮らしていた両親の死後に整理に行って、モノの多さに愕然とした。
 私たちは日々どれほどのモノに囲まれて暮らしているか、改めて認識したことがあるだろうか。白物家電もさることながら、箪笥の中に眠り続けている着物や洋服など、既に独立して妻帯者になっている子供たちの衣類や、家を出た時そのままの子供部屋のシールが貼ってある勉強机や古ぼけた図画や習字などなど。

 いや、暮らしている家そのものが不要なものになりつつある。新婚間もなく新築した家だが、既に老朽化して久しく、子供たちはそれぞれに家を建てている。老夫婦が亡くなれば、この家も主をなくして廃墟となるだろう。
 振り返ってみれば日本という国も人口減からダウンサイジングを余儀なくされている。国土に車が溢れかえれば鉄路やバスの利用客が減少するのは当たり前で、更に新幹線やリニア新幹線まで造ると息巻いているこの国は『マトモか』と聞かなければならない気分に陥る。

「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」というコピーが流行った時がある。かつてユックリズムという造語が流行ったりしたが、今はスローライフという言葉が浸透している。
 田植えの済んだ圃場は美しい日本の原風景そのままだが、耕作放棄された田が虫食いのように雑草の森林を形成し、早くも十メートル近い雑木が茂っている。かつて先人達が人の手で切り拓いた田畑が荒れるに任されているのを見ると心が痛む。「田園今まさに荒れなんとす」という詩の一節ではないが、地方の荒廃は都会人には想像できないスピードで進んでいる。

 誰が考えたって人口減になり都会に人口集積が進めば、地方の田舎といわず十万を超える都市でも消滅の危機に見舞われるのは解ることだ。そのために安倍政権は建設労働移民だ、いや経済特区へ高級外国人労働者移民だ、と騒いでいるが、愚かなことだ。日本の国土を日本国民が守らなくて、誰が守るというのだろうか。
 まず、日本国民を大事にする政治を行うべきだ。世界で日本国民であることに誇りが持てる政治を行うべきだ。姑息な中共政府や韓国政府の手法に学ぶ必要はない。日本の明治の先人に学ぶべきだ。彼らがいかにして欧米列強の帝国主義から日本を守り、有色人種で初めて白色人種のロシアに戦勝し、世界で唯一米国に戦いを挑んだかを、現代を生きる日本国民は学ぶべきだ。ただ、米国に負けたのだけがいけなかっただけだ。

 戦争は過ぎ去った過去の遺物ではない。現代も世界のどこかで行われている。それがいつ日本に降りかからないとも限らない。世界は未だに弱肉強食の時代にある。どれほど高尚な哲人が出ようと、人間は所詮弱肉強食の獣の一種に過ぎないようだ。
 この世に裸で生まれて来た人間は白帷子一枚を纏ってこの世におさらばする。いかに生前地位や名誉があろうと、いかに豪邸で多くの人たちに傅かれて暮らそうと、あの世に旅立つときは独りで、白帷子一枚だ。ただ誇りある日本の歴史と国土と素晴らしい景観に恵まれた眺望を子々孫々に残す義務が今を生きる私たちにはある。それだけのことだ、起きて半畳、寝て一畳で生涯を終える。


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