国民にとって税と医療・社会保険料と違いはない。すべて公的負担だ。

 税制審議会で審議対象になっているのは『税』だけだが、国民にとって社会保険料などの公的負担も『税』と何ら変わりない。自民党税審は最低課税所得を上げようと、配偶者控除などを廃止しようとしている。しかしこの国の税制は公的負担を併せて考えるなら低所得者にとって厳しい『税』制になっているといわざるを得ない。
 生活できない低額年金額しか手に出来ない国民年金受給者からも否応なく医療保険料や介護保険料などが天引きされている。生活保護費よりも低い支給額だが、家・屋敷や田畑があれば生活保護の対象にはならない。だが、地方の山間部に暮らす老人からも『保険料』という名の公的負担を毟り取る国家とは一体何だろうか。

 安倍氏は恥ずかしげもなく「国民の生命と安全を守るために集団的自衛権は必要だ。だから私が責任を持って閣議決定して行使できるようにする」と、先日の党首討論で威勢の良い文言を吐いていた。それでは自衛隊員諸氏は戦争行為の当事者だから命の保障のない戦闘地域へ赴いて当然だというのはいかがなものだろうか。
 しかし戦闘地域だけでなく、この国は年老いて労働能力を半ば喪失した人たちの暮らしを守っているだろうか。生活保護は制度上の問題から真に必要としている人たちでも、受給申請すら出来ないという問題がある。

 8000万人を超える労働人口(15歳から65歳までの人たち)内、働いている人は74%だという。働きなくて働かないのか、それとも働きたいが働けないのか、26%の人たちの非就労者たちの動機は様々だが、彼らの個々のケースに応じてカウンセルやアシストできる仕組みがあれば外国人労働者を2015年から毎年20万人も入れる必要はないだろう。
 労働人口の1%は80万人だというのは簡単な算式で解る。たった1%の人たちを就労させることが出来るなら、この国の労働不足は解決する。しかし、そのための処方箋をどうすれば良いかが政治家や官僚たちに解らない。

 低所得者でも所得があれば否応なく各種社会保険料は「強制的」に徴収される。所得がなければ徴収されないし、理屈が通れば生活保護が受給できて各種制度が優遇される。自立して自分の足で立とうとすると国は「これも背負え、あれも背負え」と過重な荷を担がせようとする。それのみではない、生きて生活するだけで8%の消費税まで『支払え』と命じることもなく、黙って強制的に懐から奪っていく。
 日本国民は他の国民とやや異なって『労働する使命感』が強く意識されている。『働かざる者食うべからず』という暗黙の意識だ。それゆえ心を病むことになりかねない。日本国民の老人たちには『御上の世話になりたくない』という意識もかなりある。それが原因なのか、貧困のうちに栄養失調になり命を縮める老人が日本には大勢いる。

 家庭の在り方を政府はどのように考えているのだろうか。女性も労働力として家庭が追い出すために配偶者控除を廃止しようとしているが、果たしてそれが日本の未来にとって正しい選択なのだろうか。むしろ社会保険料と税とを区別して議論している壮大な誤魔化しこそ問題ではないだろうか。
 社会保険料は使途を厳しく限定した『目的税』に過ぎない。社会保障は税制と切り離して存在するのではなく、税の役割の大きな一面は「富の再配分」だ。それを逸脱して『広く厚く』国民すべてに負担させる消費税を更に過重なものにしようとする企みは、確実に貧困層の暮らしを直撃する。自立しようとする貧困層と、保護を受ける貧困層との負担格差を問題にすべきではないだろうか。
 一昨日は年金支給日だった。独居老人から聞いた切実な嘆きをここの書かざるを得ない。安倍氏が守ろうとする国民の中に地方の山間部に暮らす老人は入っていないのだろうか。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。