農協改革は誰のためかを考えよう。

 自民党の規制改革委員会は全国の単位農協に君臨してきた全農が目の敵にされているようだ。<規制改革会議が5月14日に示した改革の原案では、JA全中が地方の農協などから年間約80億円の運営費を集める制度や、地方農協に対する経営指導権など、農協法に基づく強い権限の廃止を盛り込んだ。JA全中を頂点に、硬直化したピラミッド型の組織体制を解体し、現場の農業者に自由な経営を認めることで国内農業を活性化させる狙いがある。
 これに対し、自民党は、JA全中は廃止したうえで、〈1〉税制の優遇措置などが受けられる農協法上の「連合会」や、一般社団法人など、別の組織体をつくる〈2〉新組織には一定の指導権限などを残す――ことなどを検討している。同党にとって、農協は長らく有力な支持団体で、選挙の「集票マシン」の役割を果たしてきた。JA全中廃止には反対論も根強くあるが、安倍内閣の意向も踏まえ、「妥協せざるを得ない」(自民党農水族議員)と判断した>(以上『読売新聞』引用)

 しかし自民党の議論は農家の意見を集約したモノでもなく、長年の自民党政権下に進められてきた農政の反省の上に立つモノでもないようだ。なぜ日本の農業が壊滅的な状況に到っているのか、という反省がまずなされるべきではないだろうか。
 その反省の中で、元凶が全農にあるとの結論なら法改正をして『全農』の解体を目指すのも必然だろう。しかし全農にとっては説得力ある論理もなく、一方的に「お前は不要なんだ、邪魔だ」と否定されるのは余りに辛いことではないだろうか。これまで自民党の政策に乗って自民党の政策を実施し、自民党の独裁政権を支えて来た支持基盤の一つとして機能してきた自負があるだろう。

 だが自民党の農政の実行機関として役目を果たしてきた裏では全国の農家が後継者を育てることに絶望し、農業従事者の高齢化を招いてしまった。それも自民党の農政の責任による部分が大きいはずだ。
 まず第一に日本の農業を駄目にした元凶に『減反政策』がある。「コメを作るなカネをやる」という政策で日本の農業がバラ色の産業として若者が就農するとは思えない。そして確実に日本の米作農業の国際的な競争力を削いで来たのも『減反政策』だったことを真摯に反省すべきだ。

 農協は『減反政策』の各農家に割り当てる実施機関として機能してきた。そして全国で田を整地する『圃場整備』政策の実施・調整機関としても農協は機能してきた。それら単協の取り纏めとして全農が君臨し、直接自民党政権とコミットし、それゆえ全国の単協に影響力と支配力を確保してきた。
 全農は毎年80億円にのぼる運営資金を全国の単協から上納させてきた。全中は金融事業に疎い単協から資金を吸い上げ、国家施策に力を発揮してきた財投の有力な資金源として郵貯と並んで機能してきた。しかし自民党政権は国家財政の危機的な情勢から財投政策そのものの見直しに迫られている。

 更には1%の米国ハゲ鷹の要請もある。すでに郵貯は民営化により金融市場に開放した。次に巨大な資金の年金基金も株式投資などにより多くを投入できるように法改正をしようと策動している。残るは全中の巨額資金をハゲ鷹たちの餌食に供することだけだ、とまさか自民党の新自由主義者たちは考えているのではないだろうか。
 農協は何のためにあるのか、という基本的な立場に立ち返るべきだ。もちろん政府の『減反政策』に協力する目的ではなかったはずだ。全農を養うために存在しているのでもなかったはずだ。いわんや、農家の資金を吸い上げて全中に巨額資金を保有させるためでもなかったはずだ。

 単協は当初期待されていた『営農指導』や『共同購入』や『共同販売』を通して農家を育て、農業後継者を確保する一助になってきただろうか。その基本的な反省がないまま、政府・自民党が勝手にジクソウパズルで遊ぶかのように、勝手に農協の未来絵を描いて「改革だ」と叫ぶのはいかがなものだろうか。
 現在の地方の衰退と農業の壊滅的な状況を招いたのは間違いなく自民党の長年の農政だ。なぜ日本の農業がこうなったのか、反省するには自民党が最適だ。なぜなら自分たちがやってきたことだから。ためにする農政ではなく、日本の農業の未来という原点に立ち返って、一から議論すべきだ。


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