被災から三年有余にして南北三陸鉄道全線開通。

 今日四月六日に北三陸鉄道が南に一日遅れて開通し、これで岩手県の海岸部を連絡する三陸鉄道全線100キロ余りが開通となる。被災から開通まで三年有余は余りに長かった。
 しかし課題はこれからだ。被災前も三陸鉄道の経営は順調だったわけではない。被災により鉄道沿線の繁華街が消え去り、人影のない駅前も少なくない。とくに海岸部の駅は町ごと高台へ移転したところもあって、以前と同じように地域住民の足となれるのだろうか。三陸鉄道の新しい苦難の歴史が始まったといって良いだろう。

 町の再興をどのような形にするのか、という議論は各地域で繰り返されているだろう。一部では高台へ移転することになり造成が始まっているところもある。一部では地盤沈下した町の嵩上げに着手し、その新たな地盤に町を再興しようとしているところもある。
 海の万里の長城と譬えられた巨大な防潮堤で町を守ろうとして遭えなく津波に呑まれた町は未だに苦悩の中にあると聞くが、巨大な防潮堤を延々何キロも造るのには巨額な予算が必要となる。それをどのように調達するのか。

 しかし防潮堤をいかに嵩上げしてもその嵩上げで想定した規模を超えた津波が押し寄せれば町は再び津波に呑みこまれてしまうだろう。そうすると発想の転換が必要ではないだろうか。
 津波から町全体を守るのか、それとも人命最優先とするのか。海とともに暮らす人たちが海を遮蔽するかのような巨大な防潮堤の内側で暮らすのはかえって危険ではないだろうか。

 家は高台に建てても、暮らしに海が必要なら海の傍に仕事場を造るしかない。そうすると津波の時に避難する「津波シェルター」を設置しておく必要がある。それは海岸部に鉄骨構造の自走式駐車場を造るのと同じ工法で、七階建て相当のシェルターを建てることだ。
 一、二階は市場や公共施設を中に入れるが壁などは強固な構造としないで津波が来れば簡単に壁が簡単に抜けるようにしておく。ただ構造体が崩れなければ人々は上層階へ避難すれば良いわけだ。

 同じような発想で海岸部に瓦礫の丘を造る、というのもある。高さを三十メートルほどにしておけば、どんな津波が来ても丘に登れば被害から免れる。
 海が視界から消えるような町造りは賛成できない。海とともに生きて、海が人を呑みこもうとした場合に非難すれば良い。生きていれば町は何度でも復興できる。そのための基金を常に地域自治体は積み立てておくべきだ。
 三陸鉄道は被災地域復興の一里塚だ。これを新たな起点として次の復興へ力強く前進して頂きたい。


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