この国の行政コストはいくらなのか。

 何度もこのブログで公会計の複式簿記化を提言してきた。それは何よりも継続性の原則とともに総額主義により一枚のペーパーに会計情報をすべて集約し、一目瞭然で公機関の状況が把握できるからだ。
 そうすると「社会保障に50兆円も税を投入している」などという、おかしな議論を評論家たちはできなくなる。税であろうと保険料であろうと負担金であろうと、国民の公的負担であることに変わりない。それを税だ保険料だ負担金だと分類してグダグダと屁理屈を言っているのは官僚たちの都合に過ぎない、と国民に明快に解るはずだ。

 東日本大震災被害のためと称する公務員給与7.8㌫削減はたった2年で終わり、去年には旧に復したと思ったら今年は8㌫のベアだという。この国の行政経費は一体どれほどになっているのだろうか。
 事業費として現場へ支給される金額が国民には解らないような仕組みになっている。それぞれの事業費の中に公務巣印給与はコストとして紛れ込んでいるからだ。民間企業でやっている原価計算方式を公的会計では実施していない。

 企業会計原則というのがあって、民間企業なら会計処理する一定の基準があってどの企業とでも会計状況を比較できるようになっている。しかし公的会計ではどの企業とも比較できない仕組みになっている。
 公的会計ではないが地域独占企業として公的機関に近い電力各社が特殊な原価掲載を採用していることが国民に知れ渡ったが、それを企業会計原則に基づく原価方式に改めるべきだという議論がこの国の起こらないのはなぜだろうか。

 発電装置によって単位電力の発電原価が異なるのは理解できる。その場合は発電量に対する発電装置の減価償却や原材料などを按分配賦して計算するのが企業会計原則に定められた原価計算方法だが、電力各社は「総括原価方式」というマヤカシとしか思えない特殊な原価方式を採用している。
 その特殊な原価方式で計算した原価で「原発の発電コストは低い」などと、企業会計原則に基づく比較対象であるかのように比較不能な「総括原価方式」による発電コストを比較して見せるのは騙しのテクニック以外の何物でもなく、不誠実の一言に尽きる。

 この国の税収や保険料収入や負担金収入の総額が「国民公的負担」だが、それが一体幾らになっているのか国民には解らない会計の仕組みになっている。しかも民間企業では考えられないことだがそれぞれの省庁が財布を持って保険料や負担金を管理し、足らないところを財務省におねだりするという仕組みは国家財政としての体をなしていない。
 すべての入金は一括管理するのが企業会計のあり方だ。国家であれ、企業会計と異なる会計の仕組みを採用し続けるというのは論理的正統性を持たない。まずはすべての会計情報を企業会計原則に準ずる会計基準で処理し、一枚のペーパーに集約する会計システムに改めてこそ議論の対象になると政治家は認識を新たにすべきだ。

 官僚による官僚のための政府と会計システムを改めない限り、政治家は会計情報をすべて手元に集めて政策議論をしているのか疑わしい。毎年、対前年比増の最大予算規模を更新している国家予算に対して、既にこの国の労働者人口は百万人規模で減少している。総人口ですら20数万人も減少している。
 一人当たり行政コストは上がり続けているが、それを増税や保険料増や支給額減で対応しているとしたら今後とも無限地獄のように国民公的負担は増大し、行政サービスは低下し続けるしかないというのは誰にでも解るだろう。それらを国民はすべて是認しているのだろうか。街頭インタビューで「消費増税も国の借金が多いから仕方ないよね」などと能天気な回答をしている人を見掛けるが、そうした能天気をいつまで続けるつもりだろうか。


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