被災三年、この復興の足取りの遅さよ。

 東日本大震災の惨事があった日から今日で三年が経過した。大震災と津波被害の第一報をテレビ中継で見て「これはCGではないのか」と疑ったほど非日常的な事態が展開されていた。
 広範な地域と大勢の人々が被害にあって、復興を願う国民により「復興増税」が直ちに設けられ、住民税と法人税が一部割増しとして徴収されている。復興庁も霞ヶ関に設置され、百人を超える公務員がそこに詰めている。

 しかしなぜか復興は遅々として進んでいない。津波に流された後に残された瓦礫は撤去され整理は進んだが、多くが更地のまま放置されている。なぜ遅々として復興が進まないのだろうか。
 カネは復興基金として積まれ、官僚が被災地とは関係ない飛んでもない場所の「復興」に勝手に流用するほどあるが、現地の復興はほとんど手つかずだ。現地だけかと思ったら、常磐自動車道も「来年には全線開通」を目指すと昨夜首相が会見で語っていたことから「まだ全線開通していないのだ」と知った。

 それでは三陸鉄道の全線開通どころの話ではないだろう。なぜ国や地方自治体が受け持つ社会インフラが未だに完全復旧していないのだろうか。
 そうした疑問に対して原状復旧だけを目指すのではない、という議論があるからだという。そうすればどのような町を造るのかという議論が先行し、現実的な槌音が聞こえてくるのはまだまだ先になるという。

 津波に備えるために町をすべて高台へ移す、というのも選択肢の一つだろう。かつて万里の長城のように高い堤防で町をすっかり囲む方法を選択していた町は想定を超える津波の高さと威力の前に巨大堤防は破壊され、町は津波に呑まれた。
 だから高台へ町ごと移転するのだという話は理解できる。しかし人々は何処で生計を営むのだろうか。高台へ移転して暮らし、津波の恐怖から逃れられたとしても、生計の糧を失っては元も子もない。

 海に暮らしの糧を求める人たちが海から切り離した場所に暮らしの拠点を求めるのは不合理だ。なぜ津波に備えるために町ごと高台へ移転しなければならないのだろうか。
 従来の土地へ家を建てれば良い。ただし歩いて五分のところに津波シェルターを建てておくことだ。五階建て相当以上の壁のないビルを想像して頂きたい。階段となだらかなスロープをビルに設置して、イザという時にシェルターに駆け登るのだ。

 一階や二階は普段から市場や公的機関の出先として使うも良いが、津波があった際に壁が構造体に負荷を掛けないようにそれほど頑張らないで壊れるようにしておくことだ。上階には被災者が一週間なり過ごせるだけの資材と食糧を確保しておくことだ。
 同様に、瓦礫を他所に移すのではなく、被災地に高く積み上げて「津波の丘」を造ることも三年前に提案したはずだ。標高50m程度のなだらかな丘を海岸近くに造って、被災者鎮魂のモニュメントとして地域住民が年に一度は丘に登って海を眺めて黙禱すれば祈りと同時に避難訓練になるだろう。

 海を海で生きている人たちから切り離すのは合理的でない。海の恵みを享受すると同時に海の脅威に備えを怠らないことが何よりも必要ではないだろうか。
 百年に一度の脅威に怯えて、他の毎日を泣いて暮らすことはない。海を日々の暮らしから切り離す方がむしろ被害を大きくするような気がする。海と向き合って生き、海の脅威に備えを怠らないことの方がより良いのではないだろうか。

 そうした拠点づくりを行政はこの三年の間に造り終えておかなければならなかった。復興が一日遅れれば、それだけ多くの人たちが故郷へ帰るのを諦める。いかに高台に町を移転させようと、そこに住む人がいなくなっては元も子もない。
 復興は早さこさ尊ばれる。議論は出尽くしたはずだ。官僚たちはいつまでも復興庁を霞ヶ関に置いたままではならないし、国民から徴収した「復興予算」で放蕩三昧されてはかなわない。真に復興を目指すなら復興庁は被災地のど真ん中に移すべきだ。


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