民族自決主義をもう一度世界的な運動に。

 テロや紛争の根底に民族自決の欲求がマグマのようにうねっている場合が多いようだ。もうじきロシアで開催されるオリンピックの地も、かつてチェチェンと呼ばれる紛争の地だった。そこはロシアにより自治権を奪われたイスラムを信仰する少数民族の地だ。
 中国が抑圧しているウィグル自治区の住民はウィグル族と呼ばれる人たちだ。彼ら独自の文化や言語や文字を奪って漢民族化する抑圧政治が現地で行われているようだ。それに対するウィグル族の強い反発があるのは容易に想像できる。

 チェチェンもウィグルも地下資源の石油を埋蔵する地でもある。ロシアや中国が「国益」を主張する立場からすれば、チェチェンの独立やウィグルの独立は「国益」を侵害することになる。
 しかし、それはロシアや中国の立場に過ぎない。それらの地を軍事力で自国に繋ぎ止めようとするのはエゴというべき卑しい欲望に過ぎない。同じく米国が中近東の各イスラム教国へ軍事侵攻したのも一種の「国益」第一主義に基づくものであった。

 それらの国々は世界でも強大な軍事大国だ。同時に国連安保理の常任理事国だ。世界の平和と安定を掌るべき国々が、実は自国の国益最優先に少数民族を軍事的に抑圧したり、人権無視の軍事進攻を繰り返したりしている。
 結果としてテロを誘発し、再びテロを抑え込むと称して軍事的な圧力を加え続けている。彼らに世界平和を云々する資格があるのだろうか。国連は世界平和のために機能しているのだろうか。たんに軍事大国の利害調整機関に成り下がってはいないだろうか。

 中国やロシアや米国は民族自決主義という国家独立の原理を再認識すべきだ。そして自国の文化と言語と文字を移植するような「浄化教育」を直ちに廃止すべきだ。中国がチベット族を抑圧しチベットの自立・独立を阻む権利と正当性は何処にあるというのだろうか。
 米国大統領のモンローが「民族自決主義」を唱えた。それにより米国は他国の紛争に口を挟まない国家として生きようと世界と同時に米国民に諭した。それはモンロー以後の米国の指導者による「一国平和主義」という批判により、紙屑のように捨て去られているが、もう一度見直すべきではないだろうか。

 大国の国益の名の下に少数民族の地を軍事侵攻して支配することは決して平和を招かない。テロを誘発するだけだという現実と国連は向き合うべきだ。
 そして民族自決主義を世界へ向かって呼びかける資格が日本にはある。現在日本はどの少数民族も軍事的に支配していない経済大国だ。対中国においても東シナ海へ進出を目論むのを抑え込むだけでなく、民族自決の立場からも中国政府を批判すべきではないだろうか。


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