北朝鮮の政変は国民に信を問わない政治体制の宿命だ。

 北朝鮮で金総書記に次ぐナンバー2の人物が失脚し、特別軍事法廷で国家反逆罪などを含む罪に問われ、実刑判決言い渡し直後に機関銃で処刑されたという。何という残虐な国家だろうか。この21世紀の地上にそうした国家が存在すること自体がおぞましい。
 すべては国民に信を問わない政治体制のなせる技だ。軍事独裁体制は「ヤルか、ヤラレルか」の熾烈な権力闘争が渦巻き、絶対安定と思われるのは間違いで、実態は権力争奪の日々だ。上は金書記長の首を狙うところから、下は末端の官僚吏員まで、一瞬でも油断したらいわれなき讒訴により処刑されかねない権謀術数の社会だ。

 民主主義国家の日本でもそうした面を強く持つ社会・業界がある。企業や官僚や芸能界では国民に信を問うことがないため、たいして根拠のない権威に縋って人の上に立とうとする。人を支配するためには人を陥れることも一つの手段だ。
 そうした社会ではこの国でも熾烈な序列争いが存在する。国民に信を問わない、つまり民主的な選出に頼らないすべての組織には愚かしい権力争いがつきものだ。

 しかし忠誠心争いを演じる北朝鮮の幹部たちを嗤うことは出来ない。日本でも安倍氏に対して忠誠心争いを演じているドウショウモナイ政治家たちがいる。そのお零れに与かって政府内の要職を与えられて、嬉々としてテレビに登場するそうした人物がいかに卑しい顔をしているか。
 それは政府内だけに留まる話ではない。遠くは日銀総裁から近くはNHK会長まで、安倍氏の顔色を窺った人物が就く傾向がみられる、と感じるのは私だけだろうか。彼らにとってそれらの要職はそれらの組織本来の役目を果たすべく腐心するよりも、自らの地位維持のためにそれらの組織を利用することに没頭する。なんとも浅ましい話ではないだろうか。忠誠心ゴッコは北朝鮮だけの話ではない。民主的な手続きを要しない組織のすべてで起こる愚劣なポスト争いはある。

 忠誠心ゴッコに毒されないためには民主的な手続きを導入することだ。企業が取締役会や株主総会などのように投票権に格差があって民主的でない運営がなされても、その果実は企業業績に反映されトップは「民主的」に責任を負わされることになる。
 問題なのは業績の責任が問われない巨大組織だ。その最たるものが官僚・公務員だ。小沢氏が官僚主導の政治体制を政治家主導に改めようとしたのは正しい政策だった。
 しかし彼が実行する前に総理大臣に就任すべき地位を官僚組織の一つ東京地検特捜部による国策捜査によって追われたため、頓挫してしまった。彼の後を受けた民主党議員たちは何を血迷ったか官僚たちの懐に飛び込み、官僚たちに忠誠心ゴッコを演じてしまった。まさしく菅民主党や野田民主党は自民党になろうとしたのだ。志なき政治家は政界から去るべきだ。

 北朝鮮の国民はいつになったら民主主義体制の国家で暮らせるようになるのだろうか。中国の国民たちもいつになったら民主的な政府を持つことが出来るのだろうか。
 いかに全国人民代表会議を開催しようと、官僚(独裁)国家の民主的な装いと民主国家における官僚国家的な残滓とではまるで異なる。第一、民主的な国家なら志の高い政治家が国民に支持されれば官僚主導の政治を改革出来る。北朝鮮や中国に民主的な政府が実現することを願わずにはいられない。


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