日本は「高負担、低給付」国家だ。

 国家間の国民公的負担割合を比較する数値として「純公的負担割合」を比較対象の数値に採用すべきだ。そうすれば日本が世界で最高水準の公的負担を国民に課している実態がよく解るだろう。
 ちなみに日本の準公的負担割合は17%であるのに対して、欧州諸国は押し並べて14%ないし15%に納まっている。それならスウェーデンのようにいくら公的負担割合が75%に達していようと国民は手厚い給付により満足度の高い暮らしを手にしているといえよう。

 日本は公的負担が40%に達していないとして、まだまだ国民に課す余地があるかのような論評をしている評論家がいるが、純公的負担割合を取り上げて論評しないのは公平を欠くというしかない。
 社会保障における国家の役割は富の再配分を行い、貧困層を下支えすることにある。富裕層は放置していても貧困が原因で不利益を蒙ることはない。しかし貧困層は公が手を差し伸べなければ不利益を蒙り、基本的人権はおろか生命さえ維持できなくなる。決して極端なことを言っているのではない。日々身近な現実を述べているだけだ。

 生活保護の対象とならない「資産」を持つ貧困層をあなた方は御存知だろうか。都会で不動産を持っていれば換金して生活の糧にすべきだ、という行政の考え方は理解できる。
 しかし田舎に暮らしている者にとって、家屋敷は資産とはいえない場合が多々ある。処分しようにも売れないどころか、古くなった家を解体廃棄する費用と土地売却価格が見合わないとして放置されている「廃屋」状態の家が散見される。そうした家に暮らす老人たちは「資産」があるため生活保護の対象とはされない。餓死寸前の老人がそうした陋屋で細々と暮らしている実態を政治家たちは見ようとしない。

 田舎に暮らす老人たちにも消費税の増税余波は否応なく押し寄せる。唯一の暮らしの足たる軽自動車も自動車税が増税されるという。命綱の国民年金すら減額された。それもこれもぬくぬくとした霞ヶ関や永田町のこの冬のボーナスをたんまりと頂戴した官僚たちやバカな政治家たちが「税調」などと称する猿芝居を演じて財務省の要請通りに決めていることに他ならない。
 官僚支配国家はついに国民の知る権利まで取り上げるツールを手にした。特定秘密法だ。国民はそうした法律を制定してくれ、と願って先の国政選挙で自民党を圧勝させたわけではない。自民党のように官僚政党になろうとした民主党と比べれば、元祖・官僚政党の自民党の方がまだマシかも知れないと思ったに過ぎない。ただ、それが間違いだった。

 世界的に1%が99%の暮らしから富を奪い取る仕組みを張り巡らそうとしている。かつて熱狂したマスメディアが狂喜乱舞して魔法の呪文のように吹聴した「グローバリゼーション」の正体がそれだ。今もそうした路線でTPPが推奨されている。
 なぜ国民に負担増を求める前に歳出削減努力をしないのだろうか。なぜ押し並べて同一税を課すことが不公平だと理解しないのだろうか。月額30万円の年金受給者から1%削減することと生活保護費以下の年金月額5万円の受給者からも1%削減することが平等だといえるのだろうか。そもそも年金にそうした格差があること自体が問題だと、なぜ議論の俎上に載せないのだろうか。社会保障の大原則は「負担は応能で、支給は一律」というのは普遍の原理のはずだ。

 軽減税率という言葉に騙されてはならない。英国では食料品や医療費や教育費の消費税は非課税だ。スウェーデンですら食料品などの消費税は7%だ。日本のすべての消費に税を8%課すのがいかに重税かを知るべきだ。
 物事を比較する場合は土俵を同じにしなければ意味がない。公的負担割合を問題にする場合は公的支給割合も同時に比較すべきで、それらを差し引いた純公的負担割合こそ比較検討すべき数値だというのはきわめて当然のことだが、その数値を用いる評論家もマスメディアも今のところ日本に見当たらないのはなぜだろうか。


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