「穏健」とは「ぬるま湯」ということなのだろうか。

 食材の「虚偽」表示に関してやっと農水省などの官庁が動き出したようだ。しかしもっと迅速に「消費相談センター」などが動いても良かったのではないだろうか。いずれにせよ、最終的に損害を蒙るのは消費者のはずだから、告発がなくても食品を監視する省庁が「虚偽」表示が問題になった時点で動くべきだったのではないだろうか。
 日本国民がすべてに関して穏健な問題解決を望むおとなしい国民性に由来しているのかもしれない。たとえば「電話加入権」に関して、この国で一件も訴訟になっていないというのは驚きだ。設置電話を家に引く場合、電話債券を購入しなければならなかった。それが携帯電話では「電話加入権」なるものの概念がなくなったため、電話加入権そのものの価値が紙屑同然になってしまった。

 いや、電話加入権が電電株に転嫁されたのだという説もあるが、電電株の売却利益で国が電話加入権の補償を一銭たりともしないばかりか、臨時収入だとばかりにガット・ウルグアイラウンドの農業保障補助金などという全く電電株とは関わりのない使途に株式売却益をドッサリと注ぎ込んでしまった。
 それでもこの国では一件も電電債の補償を求める裁判沙汰は起きなかった。何という穏健な国民性なのだろうか。同じような例は他にもある。テレビのデジタル化でアナログ式のテレビが使用不能になってしまったが、アナログ式テレビ受像機を所有している家庭から一件たりとも国を相手取った訴訟が起こされななかった。

 そして今度は「税と社会保障の一体改革」と称して野合三党合意で可決された消費増税がいよいよ来年三月から実施されるようだが、一体改革とされた「社会保障改革」はどうなっているのか。それに対して国民から轟々たる非難も起こっていない。
 無責任な政治家にとって日本ほど御しやすい国民はないだろう。社会保障に使うとしていた消費増税もどこに消えて行くのか、国民による厳しい監視の視線は全くといって良いほど感じられない。それどころか「財政が厳しいから国民の負担が重くなっても仕方ないよね」などと能天気なことを呟く国民が結構いるというから驚きだ。それでは財務官僚の思う壺で、野放図な財政規律がピンと緊張感を持ったものになろうはずはない。

 米国並みのデフォルト危機に陥らなければ、この国の政治家や官僚が口にする財政削減努力など画餅そのもだ。いっそのこと財政破綻した方が公務員改革や省庁改革や公的会計の複式簿記化などの思い切った改革が出来るのではないか、と思ってしまう。ぬるま湯のような財政規律の中で、ぬるま湯に浸かった官僚たちがぬるま湯行政をぬるま湯のような曖昧な言葉を弄する政治家を掌で転がしていれば何とかなる、という政治が今後とも展開してゆくのかと思うとやり切れない。穏健ということはぬるま湯ということと同義語なのだろうかと、思わず国語辞書を手に取ってみる。


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