それでも民主党は自民党になりたいのか。

 民主党は一体何をやっているのだろうか。このまま解党の坂道を転がり落ち続け、という選択をしてしまったのだろうか。
 10月27日に投開票された川崎市長選と神戸市長選で、ともに民主党は自公と共闘を組んだ。結果として川崎市長選では敗北し、神戸市長選では辛勝だった。
 民主党は一体どのような政策を掲げて有権者に訴えようとしているのだろうか。どのような選考過程を経て市長候補を決めたのだろうか。

 民主党が自公と相乗りで地方選を戦って、国政選挙で自公と戦うというのでは有権者の理解は得られない。小選挙区で勝ちあがるためには自公候補に対抗する明確な対立軸を打ち立てなければならないし、選挙時だけの付け焼刃では有権者は誤魔化されない。
 政党の立党理念を堅持して、その理念に基づく政策を打ち出さなければ政党の存在意義さえ失いかねない。まず民主党として政党の政治理念を確立しなければ何事も前に進まないだろう。

 いや地方自治体に政党は関係ないという評論家がいるがそうではない。たとえば盛んに市長たちが口にする言葉にコンパクトシティーというものがある。
 小泉政権下に強力に推進された平成の大合併により全国の地方自治体は約1/3に激減した。それにより効率的な行政を目指すとしていたが、現実は周辺部旧町村の切り捨てでしかない。その掛け声が「財政が逼迫しているからコンパクトシティー」を目指し、新規行政投資は中心部に集中するというものだ。

 かつては中山間地にも町・村の役場があった。その役場を中心地として地方自治体の機能が揃っていたが、合併により百人程度いた役場の職員は20人程度に減少、もしくは出張所としていた旧役場利用の廃止により行政拠点が大幅な後退もしくは喪失している。
 役場がなくなれば公共事業で細々と存在していた地域の土建業者は廃業するしかなく、ますます中山間地から行政機能は失われ、災害時には重機を中心部の業者が運ばなければならなくなっている。

 指摘するまでもなく社会インフラの維持・管理などの国土保全は人の手でやって来た。その人がいなくなり予算措置も削減されれば荒廃するのは自然なことだ。かつての生活道路の橋が通行禁止になっているのは珍しくない。里道の路肩が崩れたまま放置されているのも目につくようになった。
 均衡ある国土保全が望まれるが、市の執行部の頭の中は依然として高度経済成長時代のままのようだ。

 駅ビルを建て替えたり新市庁舎の建て替えなどに巨額の予算を投じている。なぜ利用者が激減した駅をコンパクト化して駅前広場を広くしようとはしないのだろうか。なぜ新市庁舎をエネルギー多消費型の階層の高いビルにしなければならないのだろうか。これほどIT化された時代に多くの職員を抱えなければならないのは行政経営の基本が間違っているからではないだろうか。

 多くの拠点を市の全域に置く方が一点集中的に巨大な市庁舎を建設するより災害に強く、市の全域に暮らす市民に等しく配慮の行き届く行政が実施できると思うが、高度経済成長モデルに囚われている市長や行政職員はそれでは納得しないようだ。
 それなら選挙でそうした市長を選ぶしかないが、そうした理念を掲げる政党がなければ、そうした理念を掲げる市長候補も発掘できないだろう。民主党が自公に擦り寄っている限り、有権者は異なる選択肢を手にすることは出来ない。それは民主党の不幸だけではなく、有権者の不幸でもある。

 国際的に眺めれば世界政治は1%対99%の対立になっている。金融などにより富を手にした1%はさらに多くの富を手にできる構造に社会を変えようとしている。それは99%の人たちにとって構造的な搾取社会の実現に繋がる。
 民主党は99%の側に立つ政治理念を掲げよ。自民党になろうとする誘惑を断ち切れ。そしてどうしても自民党になり利権の蜜を吸いたい人たちを民主党から叩きだせ。それなくして他の野党に政界再編を呼び掛ける資格はないし、自民党になりたい似非・野党は別として、99%の側に立つ野党議員を糾合することは出来ない。


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