「通年国会」は何処へ行ったのか。
国会が長い夏休みに入っている。参議院選挙後に開会された国会も一週間でしかも予算委員会などは開かれなかった。
それでは緊急の政治課題はないのかというと飛んでもない。国際的に物議をかもした福一原発の汚染水漏れ対策などは速やかに協議すべきだし、民主党が離脱した「税と社会保障改革の一体改革」なども、公約通り首相の「消費増税」宣言までに改革案を国民に提示すべきだろう。
なぜこの時期に国会は長い夏休みに入るのだろうか。8月末を目途に来年度予算の概算要求の取り纏めが提出されるまでに、今年度の執行状況と年度当初からの経済動向を併せて議論すべきではないだろうか。
そして国会改革と行政改革を巡って常設的な委員会でしっかり議論すべきだ。「社会保障制度改革国民会議」の提言で国民はさらに負担を強いられそうだが、それに対し、国民を代表する政治家の議論は何も聞かされていない。
政府と官僚とその広報機関のマスメディアによる世論作り報道によって、国民はなんとなく「そうなるのかな」と納得させられている。それが政治だとするなら、政府と政治家の責任はどうなるのだろうか。
真摯な「負担と給付」の議論を国会は開始すべきだ。老人により多くの負担を求める、というのも一見当たり前のようだが、70歳の人は何年も前から70歳ではない。彼らも若い頃から延々と負担してきた事実を忘れてはならない。
かつて医療機関に支払う個人負担は社会保険や共済保険加入者本人は1割負担だった。それが国民健保との統一から2割負担にされた。
医療保険の個人負担増は医療費の抑制に効果的だと評する人は具合が悪くなっても医療機関に罹れない人たちが出る危険性を考えているのだろうか。
消費増税容認が7割を超える、と日経新聞などが報じている。マスメディアによる世論調査に名を借りた世論誘導がなされている。それに対して野党政治家は怒りを覚えないのだろうか。
国民は社会保障のためなら仕方ない、と思う人が増えているようだが、余りに「富と負担」の視点を欠くものだ。消費税は貧乏人に厳しく、そのために世界各国で消費税を導入している諸国は軽減税率を適用して食料品や医療費や教育費などは極めて低率か非課税としている。それに対してすべての消費に対して8%を科すというのは世界でも最高税率に位置する飛んでもない高負担を課すものだ。しかしマスメディアは決してそうした事実を国民に伝えようとはしない。
社会保障の大原則は「負担は応能で、支給は一律」だ。そうした大原則に近づけるべく年金改革すべきが国会の役割だが、高額年金を受給している、これから高額年金を受給するだろう人たちの抵抗にあって、年金制度こそ既得権益の人たちにより改革はとん挫したままだ。
満額支給ですら生活保護以下の、平均支給額5万2千円前後の国民年金受給者は、死ぬまで働かなければならない。そして健康を害すと死ぬしかない、というのが一連の自公政権が示す改革で実現する世の中だ。
政治家たちが税や公的負担の増加ばかり議論して、歳出削減に言及しないのはどうしてだろうか。あるいは官僚たちは問題にするまでもなく自律的に歳出削減努力を日々しているとでも考えているのだろうか。
到底そうは思えない。官僚や公務員は財政難をよそに既得権益を死守している。国民の生活などどうなろうと、老人たちの生命がどうなろうと知ったことではないという態度がミエミエになっている。それがこの長い夏休みの永田町の絵日記だ。