求められる「全世代対応型」の社会保障制度、とは何か。

  政府広報オンラインに「求められる「全世代対応型」の社会保障制度」なるものが登場している。サブタイトルとして「給付・負担両面で、世代間・世代内の公平を確保」と表記している。


 いよいよ総年金一元化へ向かうのかと興味を持って精読したが、何処にもそうした文言はなかった。つまり政府は共済年金の既得権益は厳守しつつ、国民全般、特に老人世代への社会保障を削減する言い訳を早くも広報しているとしか思えないものだった。


 


 社会保障が全世代に対するものなのは今更政府が広報するまでもない。たとえ若年層でも障害者には「社会保障」が必要だ。しかし現行の給付水準が障害者の暮らしを支えるのに必要最低限を満たしているのか疑わしい。同様に、国民年金加入者6700万人が死ぬまで働くことを前提とした給付水準であることには強い怒りを覚える。満額支給で6万5千円で、国民年金だけしか収入のない老人たちは死ぬしかないと国は容認しているということなのだろうか。


 


 国の社会セイフティネットとして社会保障が全世代に対して用意されているのは当然のことだが、それを言い訳にして「財源がないから75歳以上の医療費個人負担は1割から2割に引き上げる」ことにする環境整備をしているのではないか。


 なぜ政府は総年金の一元化を打ち出さないのだろうか。社会保障のあり方は「負担は応能で、支給は一律」だ。それを労働年代に従事した職種によって年金支給額が数倍も異なるのは大問題ではないだろうか。


 


 かつて恩給制度と呼ばれていた共済年金は、現役時代に薄給に甘んじて国民に奉仕していたから、退職後に僅かながらでも感謝として「年金」を支給しようとして発足した制度だ。だから「恩給」と呼称していた。


 しかし現在の公務員は薄給ではない。むしろ民間勤労者と比較すれば高給取りだ。しかも年金までもかつての「恩給」と呼ばれていた当時のスズメの涙とは比較にならないほどの高額年金になっている。その異常な格差にメスを一切入れないで、「全世代対応型」社会保障と称する改革とは一体何だろうか。


 


 政府広報オンラインの「安心を支える」という絵を見てみると、そこに描かれているのは各種制度事業への支出を増やすというものが大半だ。つまり官僚・公務員が携わる各種事業制度へ流すカネを増やすというものでしかない。青年期に到っては「様々な子育て支援」としか書かれていない。つまり中身は何もないということだ。


 社会保障改革が目指すもの、という図式が最下段に描かれている。いかにも総花式な官僚が描いたものだというべきものだ。中身は一向に伝わらないが、具体的に文字を拾ってみると現行制度を適当に散りばめたものでしかない。


 


 これまでの「世代間対立」を煽って老人への社会保障を削減しようとする圧力に利用する姑息な手法をやめたのは評価できるが、なぜ官僚は自分たちの既得権益を手放そうとしないのだろうか。制度事業へカネを多く流し込めばそれが仕事量と効果に比例すると考えているんのようだ。現行の制度事業が行き詰っているから、改革しようとしているのではないだろうか。


 幼児教育も結局は幼保一元化どころか新しく妙なモノを設置して三元化してしまった。それが官僚の仕事だ。政治家が強力な政治主導によって、官僚たちの既得権益死守の阿鼻叫喚を無視して断行しなければ改革は出来ない。政治家は国民に対して非情であるよりも、まず官僚に対して非情であるべきだ。


 


 政府広報オンラインは共済年金や三階建ての年金制度や最下層に貶められている国民年金のあり方を根源的に改革する動きが一切ないのはなぜだろうか。バカな政治家が官僚の改革に抵抗する言い訳に使っている「各制度には各制度の歴史があります」という紋切り型の説明を鵜呑みにして国民にオウム返しに説明しているのを見ると、こいつはトコトン駄目な政治家だなと思わざるを得ない。


 様々な歴史や因果を断ち切るのが「改革」だ。「改革」とは新しい理念の下、旧制度を放逐して、新制度を構築することだ。それなくして「税と社会保障改革」などと「改革」という文言を空疎に乱費してほしくない。現行制度に切り込まない小手先のイジリは「改革」と呼ばずに「目晦まし」と呼ぶことにしてはいかがだろうか。



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