公務員は誰に奉仕する存在なのだろうか。

  本末転倒だ、感じることが多い。2セットのグループホームを経営している友人と雑談しているとつくづくそう思う。


 認知症の介護は大変だ、というのは誰でも共感するところだが、さりとて誰もが躊躇する仕事だ。子供相手と違って、彼らはすべからく高齢者で、しかも死が迫っている。元気になって足取りも軽く施設から飛び跳ねて後にすることは決してなく、いよいよ死地への旅立ちとして救急車などで入院して帰らぬ人となる。


 


 彼は日々の労働も精神的にも肉体的にも重労働だが、それに応えるべく働く職員に十分な給与を支給できないのが心苦しいという。当然のことながら認知症の入所者を多く抱えるため、行政が職員に様々な講習会や研修会への参加を義務付けるのだが、介護資格者たちはそれぞれに学んできているから、出来れば無資格者たちをそうした研修会などに派遣して専門的な介護技術を取得させたいと思うが、行政の方で介護資格者を派遣するように要請するという。


 


 グループホームを指導し、許認可権を持っている行政職は公務員だから彼らの平均年収は670万円ほどに達している。しかし介護現場で働く介護士たちは年収300万円にも満たない薄給で重労働に従事している。


「行政職員も一度は介護現場で体験して頂きたい。出来れば一年ほど、せめて三ヶ月は現場で働いて糞尿まみれのオムツの交換も経験して頂きたい」と友人は漏らす。政府は介護事業でいかほどの予算をつけて、福祉に手厚くしている、と説明するが、国の制度事業を現場で支えている人たちの労苦を御存じなのだろうかと疑問に思う。


 


 周南市で悲惨な連続殺人・放火事件があった。五人もの高齢者が殺害され、犯人は地元で暮らす最年少者だった。最年少者といっても63歳で既に還暦を過ぎている。彼は都会で働いていたが両親の高齢化から介護のために帰郷して無事に両親を看取ったという。


 しかし彼を取り巻く人間関係が変化し始めたのは皮肉なことにそれからだという。そうしたことを伝えるニュースを視聴していて気になったことがあった。


 


 それは事件のあった地区を担当する民生委員の老婦人が「何かと諍いがあったようですよ」と伝聞で話していたことだ。いうまでもなく民生委員とは行政から委嘱を受けて住民の様々な問題に直接携わり、行政へと繋ぐ大切な役目を担っている。


 しかし彼女が積極的に行政職員と一緒になって63歳の男と地域住民との間に生じていた人間関係の不具合に中心的な役目を担って対処していたとは窺えなかったことだ。実際は地域住民を個別に訪問したりして積極的に融和を図っていたのかもしれない。


 


 国や地方自治体は国民の暮らしを守るために様々な事業を実施している。そのはずだが、仕組みを作ってしまえばあとは年年歳歳同じように予算を付けて事業を消化していれば了としているのではないかと思えてならない。


 いや、行政職も一生懸命役目を果たしている、という反論も聞こえるようだし、まさしくその通りなのだろうが、なぜか釈然としない。残念だが「行政力」が衰えているのではないかと思えてならない。


 


 公務員が薄給の代名詞で「デモ、シカ」と呼ばれていたのは昔の話だ。今では就職先の花形で、希望者が殺到するという。実際に民間企業勤労者の平均年収と比較して、公務員給与は信じられないほど高給だ。


 民間企業に準拠する、と定められている公務員給与は一体いつから建前から遊離してしまったのだろうか。それを放置している政治家たちも地方議員たちも情けない限りだが、口を噤んで高給をもらい続けている公務員たちの図々しさにも腹立たして限りだ。



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