「年齢別制」から「負担能力制」へ、は評価するが、

  社会保障制度改革国民会議(会長・清家氏)がこれからの社会保障のあり方を「年齢別」から「負担能力別」にすべきだとした。評価する方針転換だが、それは歳入の話に過ぎない。歳出をどうするのかの方針転換こそが改革に値する話ではないだろうか。


 しかも清家氏は談話で「負担能力別への転換は消費増税が前提だ」と四肢滅裂な暴言を吐いている。清家氏は消費税が「負担能力」に応じて徴収されるものだとでも思っているのだろうか。


 


 消費税は負担能力に比例しない悪税だというのは常識のはずだ。金持ちは貧乏人の三倍も四倍も大飯を食らうというのなら消費税も負担能力に比例していると云えるが、消費される食費は金持ちも貧乏人もそれほど大きく異なるものではない。


 負担能力に応じて徴収する、というのは「税による富の再配分」により年齢ではなく応能負担により社会保障制度を支えようとする至極当たり前の話だ。その場合、問題とすべきは現行社会保障制度のうち年金制度だけが現役時代の職種や収入によって差別されている支出面の特殊性だ。


 


 なぜ年金を基礎年金たる国民年金と厚生年金と共済年金に分ける必要があるのだろうか。社会保障は「負担は応能で、支給は一律」というのが大原則だ。たとえば高額な医療保険を支払っている者は入院時に個室に寝かされ、最低の均等割りしか払っていない者は廊下に寝かされるのだろうか。医療保険金の多寡に拘わらず、誰しも等しく4ないし6人部屋に寝かされるはずだ。


 だが年金だけが現役時代の「公務員」か「会社員」か「その他大勢」かで格差を設けて、老後の支給開始以後はその格差が死ぬまで固定的だというのは社会保障のあり方に合致しているのだろうか。社会保障制度改革国民会議は「入」と「出」の両面から現行制度にメスを入れるべきではないだろうか。


 


 消費増税により年金制度を維持しようとする発想が社会保障制度の「負担は応能で、支給は一律」という大原則に大きく悖ることに気付き、財務省と政府の誤りを指摘すべきだ。国民全体から重く等しく徴収するのが消費増税だ。当然暮らせない国民年金受給者にも派遣労働者にも消費増税は重くのしかかる。


 そうした徴収した増税された消費税で大きな格差の存在する現行年金制度を維持するのでは「支給で高額年金受給者を優遇する」ということで、社会保障制度のあり方に逆行するものだ。つまり年金に関しては国民年金制度加入者は病気で入院する際は「廊下に寝かせ」て、共済年金加入者は入院時に「特別個室に寝かせ」るのと同じことだ。これが社会保障制度の名に値することなのだろうか。


 


 清家氏たちは現行社会制度の何処を見て何を検討し、どんな会議を行ってきたのだろうか。だから「国民会議」の委員にはすべての年金加入者とすべての労働従事者を入れるべきだと提言してきた。そうしないと官僚たちのお手盛りの結論を立派な大学の教授を委員長とする諮問委員会が見当違いな答申をすることになり、彼の業績に大きな汚点を残すことになる。


 社会保障制度改革国民会議委員長は長年に渡り何を研究してきたのだろうか。何処をどの様に分析すれば「消費増税」こそが「能力別」の社会保障の財源にふさわしいという結論に到るのだろうか。飛んでもない「委員会」もあったものだ。もう一度一から検討をやり直せと「社会保障制度改革国民会議」の委員の面々に督励するしかない。



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