年金問題をなぜ世代間対立に持ち込むのか。

  年金問題は世代間対立の話ではない。なぜなら今の受給世代もかつては年金を掛けて来た。世代間対立に年金問題を矮小化したがる人たちは単に長期的制度設計の視点を欠いていただけのことに過ぎない。


 人口ピラミッド予測は新生児の動向を除いてまず外れることはない。政府のあらゆる予測の中でも最も精度の高いものだ。それで「百年安心年金」が制度として設計できないのは官僚たちがよほど無能なのか、暗愚な説明を国民に受け売りしていた政治家が無責任極まりなかったかのいずれかだ。


 


 ここに到って支給開始年齢を更に引き上げようとする動きがある。飛んでもない話だといわざるを得ない。そもそも現在受給している人たちは60歳から年金がもらえるという説明で掛け金を掛けて来た。それが受給開始年齢が近付くにつれて春の野の陽炎のように一年刻みに引き上げられた。同様の思いを勤労世代に味あわせてはならない。


 年金会計が実際にはいかほどの入金があり、どれ程の税を投入し、そして総額でいかほどの金額をいかほどの総人数に支給しているかを明らかにして頂きたい。そうすれば全年金の平均支給額が判明するだろう。


 


 あらゆる年金制度の説明で、公務員の年金「共済年金」の説明が欠落しているのは不思議の感を拭えない。なぜこの国は現役時代の職種によって年金を区別しなければならないのだろうか。


 公務員と会社員と自営業と、恰も別々の国に暮らしているかのような格差ある年金が一国の中に存在していること自体が問題ではないだろうか。


 


 社会保障の大原則は「負担は応能で、支給は一律」だ。社会保障という制度が資本主義の行き過ぎた自由主義社会の歪みをただすために発生した社会主義の産物だ。つまり「富の再配分」こそが社会保障の本旨だ。それを「富の再配分」による税収ではなく、貧者に厳しいが安定的な財源というだけで「消費税」を社会保障に充当する、という尤もらしい論を展開する評論家が多くみられるが、彼らの論理は少しも正しくない。


 


 そして社会保障改革を議論する人たちが押しなべて公務員上がりか高給取りに限定されているのが大きな問題だ。恰も貧乏人には社会保障制度を議論する資格がないかのような委員選定には怒りすら覚える。


 貧乏人こそ社会保障を必要とするし、彼らのために社会保障制度はできて来た歴がある。それを公務員と高給取りの止める人たちが「暮らせる年金」を受給して、貧乏人に対しては「掛け金が少ないのだから少ない年金で飢えていろ」という態度は本末転倒というしかない。


 


 社会保障は社会セイフティーネットだ。貧乏人は蓄えも少なく、年金で暮らせないとなると死ぬまで働くしかない。それでも病を得れば働けなくなり、貧乏人はまた新たな貧乏人の連鎖を子々孫々に受け継がすことになりかねない。


 公務員OB諸君は恥ずかしいとは思わないか。現役時代も死ぬような厳しい労働に身をさらすこともなく、暇を囲って椅子を温めていれば高額な退職給与を手にし、高額な共済年金で優雅な老後を過ごす。歳出の1/3を超える人件費が財政を圧迫しているという自覚もなく、危機的な財政赤字があろうとなんのその、自治労に圧力をかけさせて給与のマイナス幅の圧縮を政治家たちに呑ませた。


 


 年金はすべてを一元化すべきだ。働いた仕事や職種で死ぬまで年金差別する国が平等な人権を確保しているとは言い難い。社会保障の名で高額な年金を国庫や地方財政から毟り取っている連中が「国民に奉仕する公務員」とは悪い冗談でしかない。


 高級な年金を排して、その額を未来への投資・子供手当に使うべきだ。日本国民であれば誰にも一律一人月額10万円の年金を支給すべきだ。それで財源が足りないなら緩和した所得税の累進税率を復活させれば良い。こうした年金制度改革を提唱する委員を選任して頂きたいものだ。



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