規制緩和がすべて国民にとって良いわけではない。
なんらかの必要性から規制は設けられて来たのだが、それを撤廃ないし緩和することがすべて良いことだと論じられていることに危惧を覚えざるを得ない。
今度の薬事法関係の規制緩和ないし撤廃でネットによる薬販売が許され、サプリメントに薬効を謳っても良いことになったという。野放図な規制緩和にはけいょうを鳴らさざるを得ない。
たとえば市販薬にも劇薬に相当する成分が含まれているものもある。あるいは精神安定剤にも多量服用は命にかかわるものもある。それらがネットで販売されるのには異議を唱えなければならない。
そしてサプリメント販売で薬効を謳うのも危険だといわざるを得ない。サプリメントの薬効に過度に依存して医師の話に耳を傾けない風潮が出ないとも限らない。現在でも怪しげな癌の民間治療が宣伝されたり、試験薬として臨床を経たものでもないものがまことしやかに使用されていたりするのを見聞するにつけて、サプリメントがそうした民間療法の一つに利用されないか危惧を覚える。
規制緩和がすべて良いわけではない。正規社員の流動化を図る法案には反対せざるを得ないし、正規社員と非正規や派遣社員との格差を解消する方向で政治家は動くべきであって、正規社員の非正規社員化に手を貸すとは何事かと怒りすら覚える。
この国が高度経済成長したのは安定的な雇用慣行の中で果たされたものであって、職場を転々とする雇用慣行の社会で日本の高度経済成長が果たしてなされたか一考を要するのではないだろうか。
つまり日本がなしえた高度経済成長と、中国型の海外投資導入と海外からの技術移転で世界の組立工場として成長したモデルとは根本的に異なることを忘れてはならない。
米国が海外移転した企業を国内回帰させたものの、産業活性化がなかなか果たされないのはなぜか。それはモノ造りの人材がすでに枯渇しているからに他ならない。彼らは過度に金融産業に社会をシフトさせすぎた。それにより重長厚大型の製造業産業へ人材供給がなされなくなっている。しかし経済成長のエンジンとしては重長厚大型の産業である、という事実に変化はない。金融は所詮製造業と消費の橋渡し役に他ならないのだ。
本末転倒という言葉がある。何が根本で何が枝葉末節かを見抜かなければ的確な処方箋は書けない。
薬販売やサプリメントの薬効表示に関する規制と、薬価とは別物だ。そして薬の試験期間や認可基準などとも別物だ。それらを混ぜこぜにして「薬の規制はケシカラヌ」と怪気炎を上げるのは筋違いだ。
国民の健康を守るためにぜひとも必要なら、ネット販売を薬局が薬剤師の責任で行うべきで、その販売データなどを一定期間保存することなどを義務付けることだ。薬事法の根本的な精神を揺るがしてはならない。
サプリメントはあくまでもサプリメントに過ぎず、薬効を謳うのならキチンとした手続きを取って、薬として販売すべきだ。政治家が業界からどれほど献金を受けているか知らないが、安易に薬とサプリメントの垣根を低くするのは危険だ。