それでも政治に託すしかない。

  安倍政権は本来改革すべき箇所は手つかずで、これ以上壊してはならない社会の仕組みを壊そうとしているが、それに代替しうる政党か枠組みが存在しないというのは国民にとって不幸なことだろう。たとえ強烈な自公政権支持層でも独走しかねない現在の状況を心から歓迎していないのではないだろうか。


 良い政治が展開されるには良い政治家が政治を行うことだ。それでは良い政治家とは何か、良い政治家とは良い有権者によって選ばれた政治家のことだろう。しかしそれではそもそも「良い」とは何だろうか。


 


 安倍政権は次善の策であるのだろうが、決して最善の政権だとは思えない。なぜなら安倍氏は選挙前の公約若しくは公約に準じる口約束をことごとく違えている。


 野党は野党で批判のための批判を繰り返している。たとえば違憲・無効判決が出た選挙区制度の是正に0増5減か18増23減かは国民の目から見れば50歩100歩でしかない。そうした瑣末なことすら決められないとは国会は劣化したと思わざるを得ない。


 


 なぜ単純に政治家一人当たり有権者の比較を以て違憲・無効判決が出ているのか、根本的な「公平」とは何かを議論すべきではないだろうか。


 選挙区の公平概念に地域割と人口割を含めての比較をすべきとか、現行とは異なる概念を導入しない限り選挙区の公平を図るために絶えず選挙区域を変更し続けなければならないのではないだろうか。それが有権者の権利を担保するためとして妥当性を得ているといえるのだろうか。


 


 地方に暮らす者にとって政治は所詮中央の論理で決めらりるのだ、という諦観がある。所詮は東京育ちの政治家たちが東京で政治をして、選挙の時にだけ地方へやって来て「ふるさとの皆様」と愛嬌を振り撒く。


 地方の声は中央官僚たちの意図でいとも簡単に反故にされてしまう。それが政治だというのは少し違うのではないかと思わざるを得ない。「脱原発」の話だ。


 


 度量が広く、しかも高い理念を掲げた野党が必要だ。枝葉末節に拘り、大木の大本を見失っているようなチマチマとしたミニチュア野党はいらない。


 なぜ2ないし3の共通政策を掲げて野党勢力を結集しようとしないのだろうか。「消費増税」に賛成するのか否か、「脱原発」に賛成するのか否か、「社会保障のうち年金をすべて一元化する」のに賛成か否か、の3項目に絞って勢力を結集出来ないものだろうか。それ以外の政策に関しては党議拘束をせず、自由投票にすればよい。


 なにもかも、あれもこれもと欲張った食堂の食堂サンプルを並べたような政党競技会のような野党競い合いはたくさんだ。それでは自公に利するだけだ、となぜ大の大人が集まった国会議員たちには解らないのだろうか。それが大きな謎だ。



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