小手先の改革はウンザリだ。
0増5減で憲法違反状態の解消にはならない。なぜなら一票の最大格差は2倍を超えて、投票権が国民すべてに平等とはいえないからだ。
しかし、いつまでも純粋に一票の平等を突き詰めていると、選挙制度改革は毎年の行事となり、都道府県の行政圏内で解消していくことは困難に陥らざるを得ない。つまり現行の一票当たり平等原理を貫くことは不可能となり、憲法や各種法を定める国会が憲法違反となって権能を行使できなくなる恐れが多分にある。
それなら一票の単純な平等を追求するのを以て平等とするのではなく、行政圏の面積割も加味した「新しい平等原理」を選挙制度に導入するしかないのではないだろうか。広大な地域を選挙区とする国会議員が選挙区の切実な問題を国の行政に反映させようとしても、国会議員そのものが地域と疎遠になっていたら何もできないだろう。
そして選挙の時だけ鉢植えのように地方の選挙区にやってきて「故郷の皆さま」とやられてはかなわない。しかも歌舞伎役者のように「血筋」で当選を重ねる仕儀となっては何をか況やだ。この国の民主主義が特殊なのは住民票がなくても国会議員として立候補できる摩訶不思議な制度に原因があるといえなくもない。
俄かに国会で0増5減だけを決めて「選挙制度の違憲状態を解消した」とするチマチマとした議論は沢山だ。もっと根源的な問題に光を当てて議論すべきだ。
たとえば衆議院は単純平等原理を貫き住民票が東京にあっても地方から立候補できるとしても、参議院は地方割で選挙区を定めるが選挙告示の一年以上前から当該選挙区内に住民票がなければ立候補できないと定め、当選後も選挙区内に暮らしの拠点を置き続けなければならないと決めるのも一案ではないだろうか。
衆議院と参議院の2院制をとっている必然性は慎重審議と同時に各地・階層の幅広い見識を国会に集めることではないだろうか。衆議院選に落選したから参議院へ乗り換えるなどという馬鹿なことが罷り通っては参議院無用論が強まるばかりだ。腰を据えた議論が必要ではないだろうか。