道州制や大阪都構想は行政の仕組みの改革に過ぎない。

  道州制や大阪都構想は行政組織の改編に過ぎず、それにより新しい未来が開けるかのような効果が出ることはない。むしろ行政決定機関が住民の手から遠のき、公務員天国になる可能性を孕んでいると警戒すべきだ。


 そうした経験を全国民の多くが経験しているはずだ。平成の大合併により全国3000を超える市町村が1000前後と1/3に集約されたが、それにより行政が効率化し行政経費が大幅に削減したかというとそうでもない。むしろ行政サービスの低下と地域住民の声が行政に反映されにくくなったと、弊害の方を強く感じている人たちの方が多い。


 


 実施すべきは行政組織の改編ではなく、行政そのものの仕組みの改革ではないだろうか。なによりも中央省庁による地方支配の最たるものとして活用されている「制度事業」の削減に他ならない。


 たとえば公共事業の多くは1/2を国が持ち、1/4を都道府県と市町村が負担することになっている。それにより国の定める基準が全国に及び、全国が画一的な道路や橋梁などが建設されてきたという効果はあったものの、地方の生活道路を造る場合にも適用されるため、交通量と比較して不必要な道路幅と二車線の高規格道路の建設を指導され、財源的に断念せざるをえなくなるという弊害が見られる。


 


 地方のことは地方に任せるのが最も良い。そうすれば無駄に高規格な道路が地方の山間部に作られることはなくなる。もっと生活に密着した必要な道が地方の財政力に応じて建設されるだろう。それは建設時だけの問題ではなく、後々の維持・管理費の多寡にも影響する。


 そして国が定める幼・保の整備も不必要に豪華な園舎を必要とし、遅々として地方都市で待機幼児の解消が困難な状況を作っている。用地の寄付採納は嫌だが、園に無料で貸してあげたいとする隣接地主がいないわけではない。


 


 制度事業こそが中央官僚や都道府県公務員の大量天下りの温床になっている事実に目を向けるべきだ。同時に公共の行う事業の単価が異常に高いのにも目を向けるべきだ。


 それには市町村長部局が実際の権限を持ち、予算の編成と事業実施に裁量権の拡大と責任の大きさが釣り合うようにしなければならない。市町村長は一人が当選しても実質的には公務員の協力がなければ何も出来ないため、副長や三役を公務員や経験者から選出せざるを得ないのが現状だ。それでは公務員の公務員による行政が延々と続くことを保証しているようなものだ。


 


 行政の仕組みを改革することこそが必要なのであって、道州制や大阪都構想などの行政組織の改編で新しい未来が拓けるかのような幻想に惑わされてはいけない。維新の会や自民党の言っていることは国民の目先を騙しているだけだと看破することこそが必要だ。


 欧州諸国の単位自治体は1000人前後と非常に小さなまま、伝統的な村や町を残している国が多い。それでもやり方次第で行政コストが日本ほど高額になっていにない。スイスには未だに直接民主制を残している村すらある。大きいことは良いことだ、という発想は行政の窓口を国民から遠くするだけだ。



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