この国の未来を自分のことと考えよう。
一票の格差是正を怠ったとして各地の高等裁判所で先の総選挙の有効性すら疑われる判決が下された。政治家たちもここに到った事態の大きさに驚いて、選挙制度改革で単純に一票の平等性を確保しようとしている。
しかし自民党案の0増5減を実施すればいよいよ地方の声は小さくなる。それでも2倍以下に抑えたということで、最大格差は限りなく2倍に近い。一人一票が一人0.5票で了とされるのだろうか。
そもそも単純に1票の平等を確保すれば平等なのだろうか。地方交付税の決定方式に地域割と人口割りがあるのを御存知だろうか。
人口が多ければそれなりに交付金を増やさなければ社会保障制度を地方が維持するのが困難になる。同時に地域割と称して面積も考慮しなければ道路や山や川に対するの基本的な投資を行わなければ地方は荒廃する。そうした考えから単純に人口割りで配賦されているのではない。
選挙で国民の代表として国会へ送り込む議員も交付税と同じ考えを導入すべきではないだろうか。現在の出生率1.39が持続すれば、やがて議員のいない県が出現するだろう。決して極端な話をしているのではない。
極端で荒唐無稽な話だと思ったあなたは地方が刻々と崩壊しているのを御存知ないのだ。この春に全国で一体何校の小学校が休校もしくは廃校となったか、ネットで調べてみることだ。さぞかし数の多さに仰天するだろう。
小学生がいなくなったということは、その地域は何年か後に確実に人がいなくなるということだ。人がいなくなれば各種社会インフラの維持管理が困難になる。
日本の国土は単独に都会だけで成り立っているのではない。道路にしても山間僻地も縫って各地を結んでいる。高速道路も例外ではないし、高速道路だけが単独で存在しているのではない。
選挙制度をしっかりと議論して憲法改正の中に新しい概念を盛り込むべきだ。つまり単純人口割りではなく、選挙区の面積割も用いるべきだ。そして地方議員の選挙と同じく、そこに暮らしていることが被選挙権の条件の一つにしなければならないだろう。
東京生まれの東京育ちで、選挙の時だけに父・母や祖父・祖母の出身地に戻って「故郷の皆さま」とやられては堪ったものではない。彼らに地方の問題が本当に分かっているのだろうか。
首都から国家を見る観点も必要だが、地方から国家を見る観点も必要だ。北方四島と接している選挙区から国家を見る観点も、沖縄から国家を見る観点も必要不可欠だ。そうした地方を担った議員の声が国会で上げられることによって、この国の大局的な国家観が形成される。そうした声が小さくなり過ぎないように、人口割りと同時に選挙区の面積割も選挙制度の中に織り込む制度も一考すべきではないだろうか。