なぜ抜本的な議論がないのか。

 人事院にしろ会計検査院にしろ、すべて官僚任せにしていて良いのか、と抜本的な議論をすべき時に来ているのではないだろうか。人事院は官僚たち公務員給与が民間と比較して格段に低い時代には公務員の待遇改善に機能したかもしれないが、現在となっては過剰な「お手盛り」を改革すべき時代の要請に全く機能していないと断罪せざるを得ない。


 同様に、公務員の仕事が税の徴収と配分に終始していた時代にあっては内部監査のような「会計検査」で済んで居たかも知れないが、現在のように各省庁が出店や別荘や離れを設けて、国会審議を逃れ国民の目の届かない処で我が世の春を謳歌している問題点の指摘をしようとはしない。


 監査が会計監査の範囲で止まるでなら、政治家が制度改革を行うしかない。つまり複式簿記による会計原則を国家や地方自治体の会計に導入して、総額主義の原則で特会をすべて廃止するには国会議員が働くしかない。


 


 チマチマとした総裁人事同意案がドウタラコウタラといった報道にはウンザリだ。そうしたゴミみたいな話はどうでもよい。所詮はコップの中の嵐に過ぎない。


 本質的な議論は国家や地方財政が窮迫している、という現実の中で、公務員給与や公務員年金だけが浮遊して存在しているかのような現行制度の在り方を問うべきなのだ。国会で喧々諤々の議論を闘わせるべきはそうした抜本的な改革であり、マスメディアが国民に報道すべきは人事案で自民党政権が初黒星だとかなんだとかいったケチなことではないはずだ。


 


 復興庁を見ても分かるとおり、この国の官僚制度は被災地の復興よりも自分たちの利権確保に忙しいほどに硬直化している。それはすべての「制度事業」に及び、予算の対前年比減は自分たちの利権が減少することを意味するため、絶えず対前年比増となっている。これも現行官僚制度の硬直化の何よりの証拠だ。


 せっかく削りに削ってきた「公共事業」は「国土強靭化」という妙なスローガンで増額に転じてしまった。その契機となったのが笹子トンネル天井版崩落事故だというが、公共事業とは全く別問題をマスメディアは故意にすり替えている。


 高速道路は全国を何社かに分割して民営化している。かえって官僚たちの天下り先を粗製乱造しただけになったのだが、事故原因は民間会社がトンネルの維持・管理を怠っただけに過ぎない。つまり会社に原因があったのであって、「国土強靭化」というスローガンとは何ら関係がない。


 民間会社であれば最少投資の最大効果を目論むものだが、怠ってはならない安全への投資を削減した結果が「笹子トンネル天井版崩落事故」だったわけだ。


 


 高速道路民営化を推進した作家崩れや政治評論家崩れの委員たちはそれぞれ大きな顔をしていたが、あの事故が起こってどのようなコメントをするかと注意していたが、彼らはダンマリを決め込んだままだった。


 民営化がすべて高効率でうまくいく、という神話は存在しない。しかるべき牽制機能と監視機能を設置しなければ民営化は無責任の助長でしかない。しかも競争のない高速道路を民営化した利点とは一体何なのだろうか。もう一度しっかりと説明して欲しいものだ。


 


 利権を食い物にしようとする勢力はいつの世にもいる。彼らは常に善人面をし、権力とうまくコミットしてマスメディアに応援させる。そして問題点を矮小化してすり替え、善人面のMCやコメンテータの口をして国民世論を操作し、チャッカリと利権にありつく。そうした人物の名を挙げろといわれれば、瞬時にして両手の指に余るほどの名前が頭に浮かぶ。しかし最終的に真贋を見分けるのは国民でなければならない。なにしろ主権在民の最高権力者は国民のはずなのだから。



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